ラムネクラブ RamuneClub

  第七話 一つの推理が、未来に導く



  義里カズ



     ◆13


- 08/09:夏季休暇15日目

 ついに、話すときがきたようだ。

 あたしが、ラムネクラブを作った理由。



 始まりとも言える、駄菓子屋のベンチ。

 あたしとライカの間には大きな混乱が横たわり、それを解消するまで、長い時間がかかった。

 気を使うように、隣に座るライカが訊いてくる。

「なにか、飲む?」

 首を振る。とてもそういう気分にはなれない。なにせさっきまで、互いが持つ疑念を晴らすために喋りまくっていたのだ。それでもまだ足りない。

 ライカはひとり店内に入って、アイスコーヒーを買っている。その間あたしはベンチに座り続け、自分の現況をまとめていた。上を見上げても、曇り空は未だ動かない。

 ライカはどうやら、あたしとは別方向からこの事件に興味を持ったらしかった。願いがかなう壁の伝説なんてあたしはほとんど知らなかったが、ライカはそれを真鶴藍ちゃんから聞いて調べるうちに、あの不自然なイラストから事件のことが見えてきた、と。

 ライカが戻ってきたので、気遣いを返す。

「ライカ、さっきのタックル大丈夫だった?」

「ああ、うん。なんとか左手つけたし。……ほんと、斜め後ろから突っ込んできたから誰かと思ったわ」

 二人で苦笑い。あたしがライカを犯人かもしれないと思ったのと同様に、ライカのほうもあたしを犯人だと勘違いしたらしい。

「なんたってイラストを見てたら突っ込んで取り押さえられたんだから、犯人に始末でもされるのかと思った。しかもそれがカナだったし」

 悪いことをした。まああたしの驚きも同じくらいだったんだろうし、ここはおあいこということにしてもらおう。

 やがてライカの方から今までの経緯をかいつまんで説明してもらう。

「もとは願いが叶う伝説、『五つ目の願い』っていうらしいんだけど、それについて藍と調査していたのね。で、定期的に貼り出されるイラストは一体なんなのかって話になってその被写体を調べたら、それらが悪戯されているってわかったの。今日あそこでイラストを見ていたのは調査の続き」

 ふむ。つまり、美術部とは全く関係のないところからのアクセスだったのか。

 壁に貼られたイラストも彼女に見せてもらう。……違う。美術部に置かれる予告イラストは『被写体が悪戯される前』といった感じだが、壁のほうは『悪戯された後』だ。そういえば先ほど壁に貼ってあったものも、フェンスに穴が開いているのを描いたものだった。

 それ以外、ケント紙や鉛筆画という要素は同じ。

 ……同じ犯人か?

 それでも、ライカが言うに、壁のイラストが張り出されるのは事件が起こった後らしい。頭がこんがらがるので整理すれば、こういうことになる。

 一、美術部に予告イラストが置かれる。

 二、事件が起こる。

 三、壁に報告イラストが貼られる。

 詳しい前後は時間を調べない限り分からないが、大方こういう流れだ。簡単に言えばあたしがその一と二を調べていて、ライカの方は二と三を調査していた、ということだろう。だから話に齟齬が生じたのだ。

 それでも、ここで事件は一つにつながった。複雑化したともいえるが。

 一応聞いてみる。

「事件については、何か分かった?」

 言ってから、しまった、と思う。この質問は駄目だ。もっともしてはならないことをしてしまった。あたしがそれを聞く資格はない。

 それでもあたしは、それを言えない。

 コーヒーを持ったまま、ライカはかぶりを振る。

「特には何も。情報がそれほどなかったしね。なんとなく思い浮かべた予想くらいかな」

 その予想を聞きたかったが、あまりここで一方的に聞くわけにもいかない。幸い、ライカの方から水を向けてくる。

「それで、カナは? 一体どういう経緯でこの事件を調べ始めたの?」

 うん。

 それだ。

 それを言わなければ、あたしはライカとの関係を継続できない。

 覚悟を決め、あたしは立ち上がる。怪訝な顔をするライカの前に立ち、真っ直ぐに目を向ける。

 少なくとも、これはしなければならないこと。

「……ライカ。今から、きちんと説明はする。でも、その前に、ひとつ。聞かないで、ただ受け止めて」

 あたしは、あたしは。

「ごめんなさい」

 心から、ライカに謝罪する。それが、義務だから。



 ぽかんとするライカを尻目に、あたしは説明を始める。

 七月の中旬に依頼を受けたこと。美術部の予告イラストについて。実際の事件はライカも知っているだろうから割愛して、今までの経緯を包み隠さず。

 事件ノートと、予告イラストも見せた。

「予告のイラストが美術室に……? それに、これは壁のイラストと同じ形式ね」

 さすがに飲み込みは早いが、先ほどのあたしの謝罪に関する混乱はまだ解けていないらしい。

 それを今から説明しよう。

「ライカ、その伝説壁に貼られたイラストは何枚?」

 彼女はよどみなく答える。

「四枚。事件と同じ数。そっちの予告イラストも同じでしょう?」

 ところが、そうではないのだ。

「確かに事件は四つなんだけれど、こっちの予告イラストはそうじゃなかった。もう一枚、イラストがあったの」

 ノートに挟んであるそれを引っ張り出す。この一枚が、ライカに衝撃を与えるであろうことを確信しながら。

 手に乗せる。ライカが覗き込み、あたしも改めてその絵を見る。

 四枚目、唯一予告のみで犯行が行われなかったもの。

「……これって、ベンチ?」

 そう。

 描かれているのは、斜め方向から見た木製のベンチ。鉛筆の濃淡で質感が表現され、軽く眺めただけで古さが分かる。

 さすがにライカも、分かったようだった。自分の座る物体を指差す。

「まさか、このベンチ? ……つまり、犯人はここを、予告していたの?」

 あたしは頷く。

「そう」

 たったイラスト一枚を黙っていたこと。

 実はそれが、あたしの罪。



 時間に沿って説明すると、こういうことになる。

 依頼開始から約一週間、七月二十四日のことだ。美術部に報告をしに行ったあたしに対し、村越部長は新たに見つけた手がかりを提示した。それがその四枚目となるベンチのイラスト。

 犯人が、このベンチを狙うという予告だ。

 受け取ったあたしは、考えた。

 依頼を受け、三件の現場検証や聞き込みなど、人並みのことは終わらせたが、犯人に近づいている気はさっぱりしなかった。だけど、これは。

 チャンスだと思った。この事件は、犯人を捕まえない限り終わらない。この予告目標を早く見つけ、張り込みでも待ち伏せでもやれば確実に捕まえられる。場合によっては教師陣か警察に電話してもいい。取り合ってくれるかは分からないが、れっきとした器物損壊なのだから無視はできないだろう。

 そうして、あたしはベンチの場所を探し始めた。今までの傾向から、校舎内もしくはその近くだと思ったが、どうも学校敷地内には該当する場所がないらしい。暇を見つければ色々なところを回り、ついに敷地の外まで足を延ばした時。

 ライカと、出会った。

 七月の二十七日、忘れられない日曜日。おばあさんとの偶然の出会い、ついていった先でのライカとの遭遇、そして空き家の謎解き。

 あれはなかなか得られない体験だったが、それと同時に、ライカの推理力に初めて対峙した瞬間でもあった。あたしにはない探偵としての能力を持つ同級生。

 少しくらい、憧れていたのかもしれない。

 だから次の日、本当に運命だと思った。

 あたしがベンチ探しを続けていた午後。商店街に軒を連ねる駄菓子屋『ケヤキ』に、そのベンチを発見する。学校からは離れすぎているというわけでもないから、犯人が狙う可能性は十分あるだろう。ここだったら、見張ることも可能そうだ。

 そして店を覗き込むと、偶然にもライカの姿があった。そのときのあたしの思考は一つ。これらをなんとか、利用できないか。

 店に毎日寄り、ベンチが被害にあわないよう見張る。犯人がのこのこ現れるわけでもないだろうし二十四時間監視も不可能だが、『誰かがここにいる』と思わせるだけで十分効果がある。

 そしてそこに、ライカも巻き込めば。

 卓越した推理力は、犯人に近づき得るだろう。空き家の事件のように。

 そしてあたしは、それに賭けることにしたのだ。



「分かった? あたしがラムネクラブを作った理由」

 あたしはあくまで自嘲気味に、それでも説明を続ける。

 ラムネクラブとは、そういう存在だったのだ。クラブの最大の目的は、『ラムネ好きの会合』でも『受験生の暇つぶし』でもない。

 『このベンチに座って犯人を近づけさせず、推理力を持った子と仲良くする』こと。

 それだけ。なんという利己的な目的。

 だからひどいのだ。

 この事件のための、あたしの打った手。それは何もかも利用するために、そしてどこまでも自分のために行ったものだった。

 ……だからあたしは、謝らなければいけない。

 ライカにこの事実を今まで黙っていたこと。ライカに近づいたのは仲良くなりたいためではなかったこと。クラブなどと唆しながら勝手に変な事件に巻き込もうとしたこと。この夏休みの毎日数時間をここで費やさせたこと。

「それはどこまでも、あたしがラムネクラブを作ったのが悪いの」

 ここで話しても、過去は変わらない。でも、ライカが別方面からこの事件に関わってきた以上、隠しておくわけにはいかない。

 ライカ。あなたがどんな気持ちであたしに付き合っていたのか知らないけれど。

「あたしはどこまでも、ライカを探偵として利用するのにどうすればいいのかしか考えていなかった。だから、そのために色々やった。岩波ちゃんの別件で怖い話の推理をさせたり、萌絵花ちゃんの暗号手紙の推理をけしかけたり、あたしの話で推理力を観察した。そのうちこの事件のことも話して、探偵訳として動いてもらおうとまで思っていたの」

 だから、ごめん。

 仲たがいした時、これほどつらいと思ったことはなかった。こっちはただ利用しているだけなのに、ライカの方はあたしを気づかってくれる。あたしに気づかいなんて、必要ないのに。

 許してくれるとは、思っていない。

 だけど、それでも。

 もう遅いから。巻き込んでしまったも同然だから。

「ごめんなさい」

 あたしはもう一度、それが伝わるまで、頭を下げる。



     ◇14


 なんといってやろうか、私は迷った。

 横でカナは、頭を下げたまま動かない。

 まだ私は混乱していたが、なんとなく分かった。これはカナにとって、本当に重要なことなのだ、と。なにせ論理的に説明できる能力をいつも駆使できるはずの彼女の最初の台詞が、謝罪。よほど自分を追い詰めていたに違いない。

 なんにせよ、分かった。いろいろと。

 だからこそ。

 私は真面目に、応えなければいけない。

「ねえ、カナ」

 こちらを向いた彼女に、努めて暗くならないように言う。

「もしかして、そんなことで悩んでいたの?」

「え……?」

 顔を上げ呆然とするカナ。

「破壊事件の捜査を頼まれて、次の予告場所がここで、犯人確保のために私を引き止めた。それはなんとなく分かった。……でもそれはさ、謝るようなことじゃないよ」

「ラ、ライカ。あたしのいいたいこと分かってる? あたしはただ、ライカを利用しようとしたの。ライカと一緒にこのベンチを見張れるなら、別にラムネクラブだろうとなんでもよかった。今までのことはみんな嘘だったんだから」

 うん。それも分かる。

「カナ。だからそれであなたが謝るのは、私に悪いことをしたと思っているからでしょう? 別にいいよ。利用でもなんでも。あなたが気に病む必要なんて、何一つない」

「でも……」

 困惑しきりの彼女は、本当に同い年の女の子そのもので、こういう面もあるんだな、と改めて思い起こさせる。カナの言いたいことは分かる。友達になりたかったからじゃなくて、策略のために話しかけた、それが私にとって悪いことをした、と思っているのだろう。

 それはたぶん、カナなりの気づかいであり、罪悪感による行動なのだ。

「むしろ、私がカナに『友だち扱い』して欲しかった、と思われていた時点で微妙よ。人と人は、友だちになるために同打算を働かせるかで動いているわけじゃないわ。出会って、色々な出来事があって、それで縁というものが出来ていく。カナに打算があったっていい。むしろ私は、それを抱えたまま変に遠慮される方が嫌よ」

 カナは口を閉じ、軽く震えている。私は明るい声で続ける。

「カナがどういう思考で、ラムネクラブを作ってからの二週間を過ごしてきたのかは知らない。想像はできても、確定するのは不可能だから。それでも、カナの心には今、罪悪感がある。そうじゃないと、唐突に謝ったりなんてあなたはしないから。……でもさ、罪悪感を抱えている時点で、もうあなたは十分に考えて、反省してくれているんじゃない? 私にはそれで十分。少なくとも、この前の雨の日みたいに、重要なことを話されないままよりはずっといい」

 だから、大丈夫。

「そんなことで、もう、悩まなくていい。もう、ここで出会ったんだから、私とカナの縁は切れない。切ったりしない」

 そう言って笑った。

 カナは下を向き、肩の震えが大きくなる。泣くのではないかと思ったが、さすがにそこまでは行かなかったようだ。私にも分かる。そこまでカナは弱くない。彼女の口から自嘲気味な笑い声が漏れる。

「ほんと、ライカは……お人好しね」

「どこがよ。そのフレーズ我ながら全然合わない気がする」

「ううん。会った時から、そう思っていた。ライカは自分で気づいていないと思うけれど、人の気持ちをちゃんと考えられるの。だから推理の時も、人の気持ちを中心にして考えを進めることが出来る。あたしにはできない、すごいこと」

 褒めていただくのは嬉しいことだけれど、どうも自分のことという気がしない。私は頭をかく。

「それはカナのことじゃないの? 結局あなたも『自分のため』と言いながら、人を見捨てることが出来ないじゃない。今回の事件に限らず、今までの出来事全部。なんだかんだ、やっぱりカナの方がお人好しなのよ」

「そっちこそ」

「違う」

 言い合いながら、カナの顔に笑顔が戻っていく。よかった。やはりカナにはずっとその笑顔でいて欲しい。なにを考えていても人に向ける時は変わらない、その明るさで。



 ついでに、訊いてみることにした。

「カナ。これは聞かれたくないことなのかもしれないけれど、『自分のため』っていつもいうのは一体どういう理由なの?」

 関係ないことだけれど、それでも気になる。カナに期待していた私としては、その行動原理は知りたいところ。

 カナは笑って緊張が解けたのか、清清しい顔で頷く。気の抜けたようでもあるし、りらっくすしたようでもあった。

「うーん、これはあんまり話さないんだけれど……もういいか。別に隠しておくようなことじゃないし」

 道路の向こう、どこか分からないほど遠いところを見るようにして、カナは述懐する。

「親切とかお手伝いとかって、難しいところがあるでしょう。『小さな親切大きなお世話』って言葉もあるくらいで、事情に突っ込みすぎたら不快に思われるだろうし、かといって関わらないようにすれば無関心になるし。でも、あたしはどっちも嫌だった。だからその大義名分として、『自分のために』って言うようにしたの。あたしが人に親切をするのも、一見面倒なことを引き受けるのも、全部自分の糧にする。そう思えて、初めて自分から動けるようになった」

「……自分のため、か」

 私は反芻して、その意味を考える。

 自己犠牲? それはおそらく違う。エクスキューズとも、予防線ともちがう。

 私の語彙力ではうまく言えないけれど、それは『覚悟』なのかな、と思う。

「だから、この事件でも、何もかも利用することにしたの。そしてそれを自分のためということにして、目標も責任も全て背負おうって。……でも、この事件に適用するのはちょっと重かったかな。大きな事件だし、沢山の人を巻き込んだし」

 それは違う、と言おうと思ったけれど、彼女なりの懺悔と反省だったのかもしれない。

 本当に、お人好し。

 簡単な話だ。カナは、人に責任が行くのを黙ってみていられないのだ。そういう性格というより、それこそが行動原理。

 だから私はそこに憧れたのだ。真っ直ぐに、進むことが出来るから。

「ふふっ」

 思わず笑った私を不思議そうに見るカナも、再び笑い始める。

 夏休みが始まって二週間ちょっと。まさかここまで、仲が良くなるとは思わなかったな、と思う。

 さて、やっとその関係に落ち着きが来たわけなのか。私は訊く。

「それで、この事件についてはどうするの?」

 カナは顔を曇らせ、膝の上でこぶしを握る。

「分からない。重要な手がかりが増えたと思ったけれど、ライカの話を聞く限りではこちらとあまり状況は変わっていないし、犯人に直接繋がるとも言えない」

「そうじゃなくて。カナが、どうするのかってこと」

 分かっていたのだろう。一拍置いて、彼女が答える。

「……ここまで来たんだから、あたしは最後までやりたい。犯行が止まるか、犯人が捕まるかまで」

 うん。

「そういうと思った。私も、付き合うよ」

「え? でも……」

 まだ、私への罪悪感を抱えているらしい。彼女の目を真っ直ぐ見る。私にとって珍しい行動であることを自覚しながら。

 そう、私も、変わったから。

「いいの。私だってここまで事件について調べてきたわけだし、カナとの情報を合わせれば何かに近づけるはず。この事件、おかしいわ。なにか、犯人の『理由』みたいなのがあるはず。それに、この事件が続いて困る人も何人かいるんでしょう? その人たちを放っておくほど私は冷たくない」

 それに、藍のことも。ここまで私がやる気になったんだから、とことん関わってやるべきだ。

 カナは私の目を見て、頷く。そして笑うように付け加える。

「やっぱり、ライカ。人の気持ちで動く人は強い」

 そうだろうか。私にはいまいち分からない。まだ、自分で自分に責任を持つカナの方が強いと思える。

 それでも、そんなカナに認めてもらったからこそ。

 私は自分で、動くべきなのだろう。

「さ、それでは情報交換といきますか」

 あれだけ空を占領していた雲は、いつの間にかまばらになっている。

 隙間から見える空の色は、確かにラムネの色に似ていた。



     ◆15


- 08/10:夏季休暇16日目

 情報交換を進めれば進めるほど、ライカの能力にあたしは驚かされた。

 日曜日は課外がなかったので、午前からあたしたち二人は集まる。別に場所はどこでもよかったが、ライカがケヤキを所望したのでそうすることにした。ベンチは書類を広げにくいと思うのだけれど、もうラムネクラブの本拠地となっているのであたしにも異論はない。

 午前は涼しいかと高をくくっていたけれど気温は見事にそれを裏切り、ベンチの足元まで強烈な日差しが差し込んできていた。

 あたしとライカはベンチに座り、その間にはあたしの事件ノートとライカのルーズリーフ、それに証拠となる犯行現場イラストが並んでいる。ラムネを片手に腕を組んで、ライカはイラストの群れを眺める。

「こうしてみると、犯人の手間も相当なものね」

 イラストは分かりやすいよう、二段に並べた。上は美術室に置かれた予告イラスト四枚。下段は壁に貼られた声明イラスト同じく四枚。犯行順に左から、一階掲示板、北側噴水、自動販売機、テニスコート金網。さらに、実際に被害にはあわなかったベンチのイラスト一枚。

 葉書サイズのケント紙にどれも鉛筆で描かれている。ところがライカはそれらを見て、首を捻った。

「ねえ。この予告と声明、絵のタッチが少し違わない? あと、ケント紙の質も」

「え? そう?」

「気のせいかもしれないけれど……こうして並べてみると分かるわ。もしかしたら別の人が描いたのかも」

 別の人? つまりそれは、犯人とイラストの作者が別だということか。

「これは藍にも話したことなんだけれど、やっぱりイラストというのは変だと思うのよね。絵じゃなくて写真なら手間もかからないし、現場にいることのリスクもない。絵を描くなんて証拠を残す行為そのものって感じがするわ。極論すれば絵を描く人と犯人が別の方が納得が行く」

「でもそれは違うんじゃ……少なくとも予告は、そこを狙うって意思がなきゃ描けないでしょう。かといって誰かに絵を頼むなんてないだろうし」

「そうね。じゃあ、こういうのは? 犯人が絵を描いて予告し犯行を行う。ところが声明は全く関係のない野次馬が行った」

「なんのために……。それに、絵が似た形式であるのも変だと思う」

「野次馬が真似したとかは? この絵のタッチが変なのは、片方が真似したからかもしれない。だとすれば時系列から考えて予告が本物、声明が偽者の可能性が高いわ。……まあ、仮説だと思って頭に留めておいて」

 まあ、そういうなら。それにしてもそんな発想はなかった。予告は犯人しかしないものだと思っていたから、別人が描いたなんて思いもしない。そのあたり、予告と声明の違いかもしれない。

 あとは、推理の進行か。

「あたしもライカも、犯人の動機までで推理が止まったというのは同じなんだよね」

 ライカはラムネを半分ほど飲んでから頷く。

「私のほうは、なぜこれが連続的な犯行なのか分からなかったけれど。そうか美術部……。つまり、美術部に関係したなにか、ということかしら」

「普通に美術部の展示を妨害したいんだと思ったけど、あたしも美術部の人たちも」

「ああ! それに関しても思うことがあるのよ。どうもそれでは動機として弱いのよね」

「どういうこと」

「犯行が中途半端なの。この前改めて回ったときに思ったわ。どの現場も、修復可能な程度の悪戯しか行われていない。掲示板や自販機は差し替え可能。金網は一部分。そして噴水は、確かに大仰な被害かもしれないけれど、あれだけやってその縁や周りにはほとんどペンキが付いていない。いずれも、もっと悪戯を広範囲にするとか綺麗にするまで時間がかかるような犯行はいくらでもできたはず」

 言いたいことが分かってきた。ライカは、犯人の動機を絞り込んでいるのだ。つまりこういうことか。

「顕示欲の大きい愉快犯も、過剰な怨恨犯も、突発的な犯行説も全部薄いってことだね」

「そういうこと」

 大きくライカは頷く。

「つまり、別の理由があるのよ。いうなれば目的か。美術部でも学校でもない、誰かを犯人は相手にしている」

 誰か、か。美術部の展示が気に触ったわけでもなく、かといって不特定多数に迷惑を掛けようとするにはあまりに弱い。

 いったい、なんだろう。それとも犯人には、この犯行で十分だという理由があるのだろうか。

「でも、被害にあってるのってほかにいないと思うのだけれど……。困ってるのは美術部と学校。人とすれば教師陣と、あとは美術部員か、美晴ちゃんとか部長さんとかは手続き大変そうだったし、萌絵花ちゃんなんかは思い出の場所を壊されたって悲しそうな顔してたし……あとは」

「ちょっと待って。萌絵花が?」

 急に険しい顔で遮るライカ。あれ、言ってなかったっけ。

「ほら、萌絵花ちゃんは美術部ってのはさっき説明したでしょ? それで、彼女は絵画担当で」

「うん、それも聞いた。予告も彼女の机の近くに置かれるのよね。そこじゃなくて、思い出の場所をってところ」

「え? いや、萌絵花ちゃんは絵画のモチーフに、美術部との思い出の場所を選んだんだって。金網の時に言ってた。だから壊されて悲しいって」

 そこまで説明すると、ライカは急に髪を掻きはじめた。顔をしかめ、考えはじめる。

「ちょっと、ライカ?」

「まって、まとめる。……そうか、それなら……」

 なにか思いついたのだろうか。黙っていると、急に立ち上がってうろうろし始める。ここまで考え込むライカははじめて見たかもしれない。

 やがて、カップラーメンが出来るほどの時間が経った頃、ライカの口が開いた。

「そうか、理由は、これかもしれない」

「なにか分かった?」

「待って、まだ仮想だから。とりあえず、犯行声明のほうは別にしていいと思う。そこは別問題だから。とにかく簡略化しないと……」

 また考え込む。少しばかりもどかしい。別に五月蝿がらないからせめて思考の過程を聞きたい。

 やがてライカは、あたしのほうを向いた。

「ねえ、今すぐに確認して欲しいことが一つ。萌絵花に電話でもして。……というか、カナはどうしてこれを確かめなかったの?」

 なにやら攻められている。あたしがしなかったこと? なんだろう。

「たぶんカナは美術部から依頼を受けたから先入観でこれ以上探さなかったんでしょう。もっと明確な共通点が、ここにはある」

「共通点……? 被害の場所に?」

「そう。そしてそれが、予告と被害の様子にも繋がっている。とにかく確かめておいて。私も一つ、確かめることがあるから」

 そしてライカはあたしに、確かめるべき事項を伝える。そして私が電話をかけだすと、確信を持ったように呟いた。

「この質問が、解決へと導いてくれる」



 電話の向こうで萌絵花が答えるのを聞くうち、なぜかライカはケヤキの店内へと入っていった。覗いてみると、なにやら店のおばちゃんに質問しているらしい。

 メモを取りながら、ライカにいわれたとおりに訊くべきことをぶつける。しばらくしてライカも戻ってきた。

「ちょっと、そのままストップ」

 そうライカに言われたので萌絵花に断り、送話口に手を当てて見る。ライカはもう一つ、質問を追加してきた。

 え、それって。

 あまりに予想外な質問。それはあたしが確かめたはず。それでも訊いて、というライカの押しに、しかたなくもう一つの質問を電話の向こうの萌絵花に伝える。

 帰ってきた事実は、あたしの知らないものだった。

 まさか。

 電話を切って、あたしはライカに訊く。

「ねえ、この質問って。つまり、もう一つあったってこと?」

 我が意を得たとばかりに微笑するライカ。

「私の予想ではね。カナが見つけられなかったということは、同じように差し替えか何かがあったんでしょう」

「でも、絵は完全にこれを……」

「それが、違うのよ。よく見て」

 ベンチの上に載っている絵のうち、一枚を持ち上げる。

 それをあたしの目の前に持ってきて、ライカはとどめのように言ってきた。

「いま、おばさんに確認してきた。この駄菓子屋の名前が『ケヤキ』って言う理由。前から気になっていたからね。元は、この店の横に立っていたケヤキの木から名づけたんだって。商店街の話が出たときに切り倒したらしいんだけれど。そしてそれは店の名前と、もう一つに名残がある」

 あたしが座るベンチを指差して。

「これ、そのケヤキ製。他にはない完全な手製らしいわ」

 ……言いたいことが、やっと分かった。突然それだけを話されれば意味不明だけれど、さっきの質問とあわせて考えれば、関係ない話ではない。

 つまり、このベンチと他のどこかにあるベンチは、違いがある、ということだ。

 あたしは声を絞り出す。

「つまり……私が間違っていたってこと?」

「いや、よくある勘違いよ。少なくともこの絵のアングルからはそう考えてもおかしくないし。あとは現物をみて、どちらが予告のものが確かめるだけね」

 ライカはそう言って、腕を組む。

「確かめることはいくつかあるわ。まずその件について現物を探す。あとは可能性がある人を絞りこむ。そしてその確実な証拠を取れれば……」

「事件は解決、と」

 そのとき、改めてあたしは思った。

 ライカを探偵役に選んだのは、正解だった。ちょっとばかり悔しいほどに。



     ◇16


- 08/11:夏季休暇17日目

 その日、午前中から美術部を訪れる生徒がいた。

 慌てるように廊下を進み、ドアを開ける。鍵は既に持っていた。特有の絵の具の匂いと外の空気が混じる。

 制服のスカートを翻し、彼女は周りを見渡す。当然のように室内は暗い。カーテンは閉まり、校舎端特有の静けさが辺りを包む。

 彼女はそのまま、ドアと窓の隙間から入り込む光を頼りに部屋の中央へと進んだ。一度入り口を振り返り、誰もいないのを確認してから机へと向かう。

 下から乱暴に道具箱を出し、刷毛の一本一本を漁る。

「……早く……」

 彼女の呟きは誰にも聞こえないはずだった。

 ここに、私がいなければ。

「何を、捜しているの?」

 私が声を出した瞬間、机の彼女はびくりと肩を震わせ、こちらを向く。その顔は怯えと動揺に満ちている。

 教壇の下に隠れていれば気づかれないとは思ったけれど、さすがに不意打ちだったか。

 彼女は手に刷毛を持ったまま、大きな声を上げる。

「ら、来夏さん……? あなた、なにやってるの!」

 そうやって後ずさりする様はすでに認めているようなもので、私は暗澹たる気持ちになる。だけど、彼女を捕まえないことにはこの事件は終わらない。

 私は教壇をまわり、彼女へと近づいた。

「そちらこそ、人気のない美術室に飛び込んで何の捜しもの? ……岩波美晴さん」

 名前を呼ぶと、向こうの震えが一層ひどくなる。美術部員で、カナに依頼を持ちかけた張本人。そしていま、不審な行動をする彼女は、何が起こったのか分からないようだった。私の質問に答えもしない。

 仕方ないので、私の方からカードを切る。

「そういえば、カナから連絡があった? 『事件に使われたペンキが関係者の持ち物についていないかチェックしたい』って。あの連絡を頼んだのは、実は私なの。あのペンキは缶から撒かれたものじゃなく、きちんと刷毛でぬられていた。犯人がこれ以降も事件を続けるとすれば、そのペンキも刷毛もまだあるはず。それを調べればすぐに分かるわ」

 岩波さんの震えた手から、刷毛が落ちる。おそらく彼女が使っているものだろう。赤いペンキが付いているものは見た目無さそうだが、まさかこんなに簡単に引っ掛かってくれるとは。破壊行動には気を使っても、連続犯行を示すためのペンキはそれほど重要視していなかったのだろう。

「ね、岩波さん。それで、今は上の階で夏期課外をやっている最中なのに、あなたは何を?」

「……そ、そうよ。夏期課外。来夏さんも佳奈さんもみんな、課外じゃないの」

「私は今日休ませてもらったわ。というか別にあれ、強制じゃないしね」

 国公立大学進学予定者以外はまず参加していないし、サボる人も幾人かいる。そのあたりも、犯人は考慮しているだろうと思った。

 私はたたみかける。

「たとえば金網に穴が開けられた事件。あれは夏休み中、それも課外のあった日の午前中に行われたことが分かっていた。用務員さんによれば、朝にはあんな異常が起こっておらず、午後にテニス部員が見つけたらしいから。……つまり、課外にいた人はたいてい除外できる。むしろ犯人はそれを狙っているんじゃないかと思った。課外で先生も生徒も静かになり、校舎に人気がなくなる瞬間を」

 さて。

「動揺してないで認めて、岩波さん。犯行はもう分かっている」

 私、来夏が探偵的行動をするのは、これで何件目だろうか。



 岩波さんの声は、まだ震えていた。

「どうしてわたしが、犯人だって」

 どこから説明すればいいのか迷う。

「まずは事件の整理からかな。少なくとも私はここからたどり着いたわけだし。事件はおそらく、一件目掲示板の予告から始まった。私はその辺の前後関係は知らないけれど、それとほぼ同時期に掲示板の破壊活動が行われている。二件目は噴水。三件目、自販機。四件目はベンチ。五件目は金網。……一見、あまり連続性のない犯行に思える」

 それでも結びつける要素はたくさんあった。

「毎回美術室の机に予告イラストがおかれるから、美術部員とその関係者は、これらの事件を結び付けることができた。動機として考えられるのは美術部への何らかの怨恨、というところまですぐ思考がいく。でもそれは関係者だけ。事実、別の方向から調べ始めた私たちは、まずこの事件が同一犯のものかすらわからなかった」

 声明イラストのこともあるけれど、まず別問題であろうから外しておく。もしかしたら岩波さん自体気づいていないだろうから。

「それでも、結びつけられる証拠はあった。それは赤いペンキ。あれがあるおかげで、ほとんど同一の犯人によるものであると認識できる。でもそれは少しばかり疑問だった。『イラストで予告する犯人がわざわざもう一つ自分の犯行であることを強調する』なんて手間以外の何物でもない。だけど、そこに意味があるとしたら」

 岩波さんが黙って聞いてくれるから話すのは楽だ。

 どうせだしこっちの手札はしっかり見せておきたい。切り札一枚だけ残しておこう。

「そうして犯人の動機を類推すると、どうしても疑問が残る。美術部への怨恨なら展示モチーフの破壊なんてまわりくどい行動はとらないし、犯行はすぐ修復できるほど軽微。愉快犯ならモチーフを狙う理由も予告イラストも不明瞭。突発犯は予告というシステム上否定される。……おそらくカナも、ここで一旦詰まった」

 だけどカナは、重要な発言を得ていた。萌絵花と金網でした会話らしい。

「実はもう一つ、共通点がある。ある意味一番最初に気づけるものが。誰もが意識を外されていたから、そこに目がいくまで時間がかかった」

 はっきり言って、こんな理由か、と思う。器物損壊は犯罪だ。それを分かっているのか。

 目の前の岩波さんに問い詰めたい気持ちを抑え、しゃべり続ける。

「予告は、美術室の中でも『萌絵花の机周辺』に置かれていた。犯行対象は、絵画担当である『萌絵花が描く予定の』モチーフが狙われている。そしてこれは本人に電話で聞いたことなんだけれど、すべてのモチーフは『萌絵花が思い入れのある場所』を選んでいる。……こうやって見方を変えれば、事件は簡単な論理に収束するわ」

 一拍置いて。

「事件は美術部への怨恨でも学校へのそれでもない。萌絵花への当てつけだ、って」

 犯人はただ、萌絵花に対する何らかの気持ちが働き、一連の犯行を起こしただけだ。だけどそれが遠まわりで、別の方向から見ると姿が変わって見えた。

 おそらくカナは、美術部から依頼を受けたという経緯があるから、そこに注意は払わなかった。誰だって美術部への恨みだと思う。だけど美術部は恨みを買うようなことはない。そこに疑問をもてれば、すぐにここにたどり着けたはずだ。

 岩波さんは引きつった顔を無理やり変えるように笑う。

「じゃあ、なに? わたしが萌絵花に恨みを持っていたとでも言うの? だから犯人だと? ばかばかしい」 

「ええ、類推も甚だしいでしょうね。美術部に恨みを持つのと同じくらい、萌絵花に恨みを持つ人が多いとも思えない。別に私は美術部員の事情に詳しいわけじゃないしね。それでも、ちょっとした出来事から分かることがあった」

 疑問をあらわにする岩波さん。

「出来事?」

「うん、覚えているかしら、夏休みの最初の方。岩波さん自身がラムネクラブに来た、最初の依頼みたいなものだった。部屋から聞こえる四人目の声の話」

「ああ、怖い話。それが一体……」

 言いかけて息を呑む。気づいたのだろう。まさかそこから、と思っているのかもしれない。

 そう、あの時から、私は想像したのだ。

「あの怖い話に関する推理が正しかったかどうかは別にして、気になるエピソードがあった。『彼氏がいない会と称して、四人くらいで集まって話をしている』。そして推理では『実はその一人には彼氏がいて携帯電話で話しをしていた、それが男の声』という結論。で、岩波さんは信じられないくらい怒った」

 岩波さんは下唇をかみ、下を向く。

「カナに聞いて知ったわ。美術部員はあまりこない人も含め五人。そのうち四人が女性。またあのエピソードを岩波さんが話すとき、一旦口ごもった。何かを隠すように。そこまでくれば分かる。あれは『彼氏がいない会』じゃない、『美術部の会合』そのものだったんだって」

「しょ、証拠は……」

「証拠なんて必要ないわ。きちんと萌絵花や部長さんに証言をとった。七月の三十一日、確かに四人があなたの部屋に集まっている。お喋りとかこれからの美術部の話とかね。……だから岩波さんが席を外した時、誰が電話で話していたかも分かっている。萌絵花だった」

 この話はカナと推理について話し合った後、会いに行って確認した。全ての出来事も。

「萌絵花は実は付き合っている男子がいて、それをひた隠しにしていた。相手を聞いて驚いたわ。美術部の唯一の男子、三間坂翔太くん。彼はたまにしか来ないらしいけれど、部活動で仲良くなったらしいわ」

 ここまでは聴取の内容説明。いまさら言わなくても、この意味を岩波さんは分かっているのだろう。

「……ここからは、推測。違うなら違うと言ってくれて構わないわ、岩波さん。あなたが、恋愛沙汰に対しどんな気持ちでいるのか、そして三間坂翔太くんにどんな思いを抱えているのかは想像もつかない。でも、私が七月末に推理を披露した時の怒りは尋常ではなかった。おそらく私の話を聞いてあなたは、『矢井田萌絵花と三間坂翔太が付き合っている』という所まで予測が付いた。だからこそあの怒り。あなたにあったのは、萌絵花への嫉妬だったんじゃない?」

 ここで岩波さんは怒るのかと思ったが、本人は黙っていた。仕方がないので付け加える。

「ほかに、美術部の展示予定を詳しく知っていて萌絵花への恨みを持つ人間、というのは少なくとも見つからなかった。関係者ってだけでほとんど限られるし。萌絵花に聞いたけれど、三間坂翔太くんは人懐こくて、美術部の皆に等しく接していた、と。さらに、萌絵花が選んだ絵画対象は美術部の思い出に関するものであると同時に、部員との思い出でもある。それを破壊することは、少なくとも萌絵花にとって普通のダメージじゃない」

 喋りすぎた。息をつく。

 下を向いたまま声を出さない岩波さんだったが、やがて鼻から空気を出すように笑い出す。薄暗い美術室でその姿は異様に見えた。

 乾いた声。

「あはは、別にそれはいいわ。予想だもの。わたしが萌絵花に嫉妬していたなんて、あくまで予想。わたしはそれが正しいとは言わない。でも、萌絵花に恨みを持っていた人間が真犯人だなんて、いくらなんでも短絡的じゃないの? もっと論理的に示してもらわないと」

 論理的に、ときたか。

「犯行予告を出来るのは美術部の内情を知っている人間。ケント紙もペンキも元は美術室にあるものと確認された。予告イラストを美術室に怪しまれずに置けるのは美術部員以外では美術選択授業の一年生だけ、他は難しい。夏期課外の最中に被害が行われているから夏期課外を受講していない人物。美術部員で夏期課外を受けていない人も全員調べたわ、岩波さん、あなただけ。ここまで絞っても?」

「確実とはいえないじゃない、それじゃ状況証拠ってやつだけでしょう。わたしに罪をなすり付けた誰かって可能性もある。怨恨だったらむしろそれの方がありそう」

「今あなたが焦ってここにいるのは、ペンキが自分の刷毛についていないか確認するためでしょう。もしくはペンキを塗るのに使った刷毛があるんじゃない? カナが流した情報どおりに動いた、ってことだけで認めてくれないものかしら」

「だから!」

 岩波さんがついに激昂した。

 今までにない声量でまくしたててくる。

「わたしがしたっていう証拠はあるの? もしくは目撃者! さっきから美術部の話ばっかりするけれどね、掲示板も噴水も自販機もベンチも金網も、わたしがやったってどう分かるのよ!」

 はあ。

 やっと、か。結構賭けだったけれど、案外うまくいくものらしい。第一、駆け引きはカナの方が得意なのだから任せればよかった。

 おそらく分かっていないであろう岩波さんに、私は指摘する。

「それよ」

「……なに?」

「それ。あなたが犯人だと分かる事実。いま、口を滑らせた」

 ぽかんとする岩波さん。激昂すると彼女は我を忘れるらしい。

「岩波さん、どうしてあなたは、『ベンチも被害にあった』ことを知っているの?」

「……あ……」

 面倒だけれど、あくまで論理的に指摘しろといわれた以上はきっちりと。

「カナの話、すなわち美術部に今まわっている情報通り、事件が起こっているのは四ヵ所。掲示板、噴水、自販機、そして金網。いずれも予告イラストがあった。それと、もう一つ。予告が行われながら、それがどこか分からない『ベンチのイラスト』があったわ。カナはそれを、犯人が抜かしたか、動揺を誘うためのおとりかと考えていたらしいけれど、それでも万全を期して、思い当たる中でイラストに一番近いベンチを見張ることにした。ケヤキにある古びたベンチ。……結果的にいえば、それは全く関係ない対象だったのだけれど」

 昨日話していた内容は、それだった。

 そして。

「さっきも言ったとおり、実際は『萌絵花への恨み』によって対象が破壊されている。だから本人に訊いてみた。美術部との思い出があって、イラストに似たベンチの存在に心当たりはないか、と。そうしたらすぐに答えてくれた。同じように絵画モチーフを予定していた、校舎南の古いベンチ。犯人が狙っていたのもそれだったのよ」

 だけど、カナはイラストからそれを探そうとして、違うベンチを被害対象だと思ってしまったのだ。第一被害対象はほとんど学校敷地内なのだからもう少し探すべきだった。そうすればカナは、関係のないベンチをいつまでも見張る必要はなかったのに。

「驚くことに、そのベンチは今、校舎南に存在しない。用務員さんに訊いたら一連の流れを答えてくれた。七月下旬の朝、ベンチのそばを通りがかるとそれが赤いペンキで汚されていると気がついた。とりあえずベンチをそのままにはしておけず、倉庫にしまって置いたらしいわ。用務員さんの独断だったから、他の人には一切伝わっていない」

 分かると思うけれど、一応一言で表す。

「ベンチが被害にあったのを知るのは、用務員さんのほかには犯人しか知りえないの」

 絶句する岩波さんに、訊く。

「あなたは今どうして、ベンチが被害にあったと当然のように言ったの? 他の美術部員もきちんと『被害は四ヵ所』と言っていた。あなただけ」

「わ、わたしは……わたしも、聞いたのよ、用務員さんに」

 ふらつきながら苦し紛れの言い訳を放つ岩波さん。

「その言い分は通らないわ。用務員さんは、私が訊いた時に『このことははじめて話す』と言っていたもの。……あと、物的証拠も所望でしょうからしっかり提示するわ。他のところではさすがに無かったけれど、ベンチはすぐに仕舞われたからか、あるものが見つかった。ペンキを塗った時に抜けたであろう、刷毛の細かいくず。今すぐでもいい、岩波さんの持っている刷毛と照合しましょう。萌絵花に訊いたけれど、刷毛は自分で気に入ったのを使うらしいわね」

 もう、こんなものか。あとは指紋でもとれば、他の場所被害の証明にもなるだろう。

 私にはもう話す事はない。

 聞くのは言い分だけだ。

 岩波さんは机に手をつく。その顔は青ざめ、どこか疲れきったようだった。

「知らないわ、わたしは知らない……。そんなこと知らないし、犯行なんてやってない。嫉妬、嫉妬ですって? どうしてわたしが萌絵花に嫉妬しなければいけないの? あの子はただのちびっ子で、それでも明るくて、翔太とも仲がよくて、それでもわたしに『友だちでいてね』って……。付き合っているって何よ。これじゃわたしが馬鹿みたいじゃない。美術部の思い出とか言って絵画の対象を選んだりして、どう考えてもあれは翔太との思い出じゃない。そんなの許さない。破壊された対象を見て青ざめるあの子は、どうして、どうしてあんなにも真っ直ぐで……」

 呪詛のような懺悔は、再び怒りへと変わった。

「知らないわ! わたしはやってない! 証拠なんて嘘! 結局来夏さんが立てた仮説ってだけ。誰も聞いてないし、わたしを罰することなんて出来ない!」

「……そうでしょうね。本来、罰する権利は私にない。でもね」

 私はカナから学んだ。遠慮と言う名の無関心はいつか人を傷つける。カナみたいに、どこまでも突っ込めば。転ぶにしても、前を向いて転べば。だから、私も、この事件に、最後まで関わる。

「萌絵花を悲しませたのは、許されることじゃない。そして器物損壊は、法によって罰せられる」

「っ……知らない! わたしを罰することなんで、誰にも出来ない!」

 なんども繰り返す岩波さん。

 そこに、現れる影があった。

 ……やはり、来てしまったか。

「罰しようとなんて思ってない。それでも反省はして欲しい。美晴ちゃん」

 新たな声にびくっとする岩波さん。振り仰ぐと、入り口に何人もの姿が。

 制服姿のカナ。その後ろに、萌絵花と村越美術部長、それに顧問の三浦先生。

 やはり、呼んでいたか。いざという時のために隠れている役だったのだけれど。

 岩波さんは彼女らを見て、本当にがたがたと震えだす。

「ちがう、ちがう――」

「美晴ちゃん……あたしのことだったの……?」

「岩波さん、話は聞かせてもらったわ。もっと詳しいことを、後で訊くことになりそうね」

 そのときの岩波さんの悲鳴は、色にしたら、真っ赤に違いなかった。



 あとでお礼を言われたけれど、私は逆にすまない気持ちで一杯だった。

 美術部は崩壊した。文化祭は近いのに、絵は完成していないまま。

 これが解決だとしたら、あまりにも悲しい。

 もう誰にも言うことはないけれど、少しだけ思う。

 もしこうやって私が告発しなかったら、美術部は今のまま保ったのだろうか、なんて。




     ◆17


- 08/11:夏季休暇17日目・述懐

 村越部長、ちょっといいですか。

 あ、藤島さん? ええ、大丈夫よ。……ありがとうね、見事に解決してくれて。

 いえ、あたしだけの力ではありません。

 またまた、謙遜して。えっと、来夏さんだっけ、一緒にいたの。彼女にもお礼を言わないとね。

 あたしから伝えておきますよ。……それで、そのライカからもうひとつ、事件に関して一つの仮説を聞きまして。

 仮説? 事件とは別の?

 ある意味では事件に関わっていると言えるでしょう。まあ、聞いてください。――部長、あなたは、この事件の犯人、もしくは犯行の目星をつけていたんじゃないですか?

 私が? どうして。

 ライカに言わせれば可能性の排除だそうです。先ほどの告発の通り、予告イラストを描いたのは美晴でした。萌絵花ちゃんの当てつけが主な動機です。でもイラストは、もう一種類ありました。犯行後の様子を描いた同形式のものが四枚、一階の西階段壁に貼ってあったんです。そのあたりは萌絵花ちゃんからも聞かされているかもしれませんが。

 ……ええ、聞いたわ。なんでも鉛筆画だったとか。

 そうです。似たような絵のタッチ、鉛筆とケント紙から、あたしは犯人の仕業だと思っていたんですが、推理したライカはそうは思わなかった。なんといっても動機が不明確です。萌絵花ちゃんの思い出を破壊したのを見せつけるのに、階段の壁に貼る理由はない。むしろ犯行前と犯行後のイラスト二枚を机にでも置いておけば精神的ダメージは強くなるでしょう。そうして疑いを持って二種のイラストを比べると、微妙に線の引き方が異なっていたり、紙の切り口がずれていたりしていました。まるで、他の人が真似したかのように。

 そう言い切っていいのかしら。

 一番可能性が高い、くらいの意味ですね。この事件において予告と犯行は完全にセットですから、どちらも美晴の仕業であることに疑いはない。だけどわざわざ手間をかけ、関係のない場所にイラストを貼る理由は美晴にない。愉快犯が予告イラストを真似て職員室とか玄関とかに貼るなら分かりますが、階段の陰ではそれも否定されます。重要なのは、犯行の後に声明イラストが貼られるということです。そしてそれは、事件との関係は薄い。

 それで?

 犯行声明のイラストが事件と関係が薄いという点で、ライカは推理からそれをいったん外しました。それから改めて別件で考えてみたそうです。イラストを描いて貼ったのはだれかということに。少なくとも、事件に無関係な人は外せます。イラストの真似っぷりから判断して、予告イラストを見た人に絞られるでしょう。そしてもう一つ。声明イラストが貼られるのは事件が起こったすぐ後。あまりに早いほどに。だからこそ犯人が犯行後すぐスケッチしたという説が外しにくかったのですが、まあそれはそれで。考えられるのは、これです。このイラストの作者は、犯行が起こるのを知って、予告イラストの体裁で犯行現場をスケッチした。それも、事件の最初のほうから。

 ええ。

 そうすると、事件関係者でもかなりの数が不可能になります。少なくとも三件目終了後から推理し始めたあたしやライカ周辺の人は、予告のルールを知らないのであれほど早くイラストを貼ることができない。予告イラストを、一件目から見て、しかもそれが犯行予告だと分かる人間。

 ……なるほど、そこから『犯行の目星がついていた』、か。

 察しがよくて助かります。イラストを一件目から見ていた人は美術部員だけです。そこから、たまにしか来ない幽霊部員は当然排除。被害者である萌絵花ちゃん、犯人である美晴も外せます。描く意味がないですからね。……残るのはあなただけです、村越部長。付け加えるまでもないことですが、あのイラストはとても上手かった。真似である以上に、本職の人が描いたと言われれば納得できる程度には。

 ふふっ。……そうか、結構簡単にたどり着くんだ。

 ほとんどライカの受け売りです。では認めるんですね、壁の声明イラストを描いたことに。

 そうよ。……ついでに言えば、イラストが予告を兼ねているのもすぐ気がついたし、なんとなく岩波美晴の犯行であるかもしれないと考えていたわ。なんたってイラストを怪しまれずに机に置くのなんて美術部員以外いないもの。美術部の製作計画も、特徴のあるイラストのタッチも、犯行に用いられたペンキも。あとはあたりをつけるだけ。

 そうですね。あたしは、いまさら、『どうして言わなかったんだ』とは言いません。

 あら、そうなの?

 部長としての立場から、部員を告発しづらいのは何となくわかりますから。内々に処理できるほど小さい事件でもなかったでしょうし。それでも、止める方法はあったのではないかとは思います。あたしは訊きたい。どうして、こんなことをしたんですか。

 その来夏ちゃんは、もしかしてその理由にも予想がついているんじゃないかしら。かなりの頭脳なのでしょうし。

 はい。実はそのあたりも説明されました。彼女の仮説が正しいのではないかとなんとなく思います。それでも、あたしは部長の口からそれを聞きたい。どうしてですか。

 はあ……なんだか既に察されていることを改めて説明するのはちょっと気が重いわ。それでも藤島さんにはお世話になったから、ちゃんと言わないとね。

 お願いします。

 どこから話せばいいかな。美術部はさっきの告発で明らかになった通り、水面下で軋轢を抱えていたわ。三年生のこの時期まで部長を続けていたのは、なんとかそれを解消できないかと思ったから。当然意味はなかったけれど。

 そして、事件が起こった。

 そうね。簡単に事件のあたりはついたけれど、証拠がないから問い詰めることもできない。部長として部員一人を疑えば美術部は崩壊する。文化祭の計画も間に合わない。手をこまねいているうちに予告は増え、事件は二件目になった。仕方ないから、いろんなところに助けを求めることにしたの。……階段壁の話をするくらいだから、『五つ目の願い』の伝説は知っているのよね?

 ええ。ライカから聞きました。願いをそこに書くと叶うとか。

 それよ。あたしも人づてに聞いて、なんでもいいから縋ろうとしたの。犯行後の様子を絵に描いて、あそこの壁に貼り、祈ったわ。被害も恨みも消して、事件ごと、なかったことにしてください、って。

 ……予告イラストと同じ形式にしたのは?

 事件のことを他の人に知ってほしくて、かな。さすがに怪しかったけれど、被害個所が貼られているってだけで注目を浴びることはできる。

 事実、ライカたちはそこから推理を始めたわけですからね。

 ふふ……やっぱり駄目ね、適当なことを言うのは。舌が上滑りするわ。本当は、犯人への当てつけ。似たイラストがいつか犯人に知られれば、動揺を誘えるんじゃないかと思って。そういう意味での、祈り。

 なるほど。……分かりました。ありがとうございます。

 こちらこそ、あなたたちには謝らないといけないわ。事件の手伝いをするどころか混乱させてしまったようで。

 いえ。つまり、あたしに依頼したのも、イラストを描いたのも、事件を解決しようとした故の行動だったということですよね。それが分かって、嬉しいです。

 ……それは、来夏さんの仮説? それとも、藤島さんの?

 これは、二人で考えたものです。

 ……そう。

 では、失礼します。文化祭、頑張ってください。



     ◇18


- 08/12:夏季休暇18日目・述懐

 ほら、こっちよ。

 なんすか来夏、わざわざこっちにつれて来て。なんかあったんですか。

 そういうわけじゃないけれど、藍に説明するならここが妥当かと思って。

 『五つ目の願い』……。ここからとんでもないところまで行きましたね。アタシ推理を聞いただけですけれど未だに信じられないっすよ。

 まあね。私たちの推理はここから始まったんだから、本当に遠かったなと思うけれど。

 それで、なんすか? ここに貼られたイラストの話とか?

 それはカナと一緒にしたでしょう。そうじゃなくてね。あの犯行声明イラストとは別に、もう一つ、思いついたことがあって。

 なんでしょう。

 ――藍、この『五つ目の願い』の伝説、仕掛け人はあなたじゃないの?

 ……どういうことっすかね。

 仕掛け人といえば大げさだけれど、噂を広めたり、願い事を準備したりすれば、この伝説はいとも簡単に伝わるわ。なんだっけ、五の倍数のルールとか。

 それで、アタシがその仕掛け人だと?

 うん。

 何でそんなに確信に満ちてるんですか……。どこから気づいたんです。

 あ、やっぱり本当なんだ。

 鎌をかけた振りとかいいですから説明を。

 そうね。まず、私はこの伝説についていろいろな人から話を聞いた。藍、自分のクラスメイト、あとは他のクラスの知人。どれも知っている割合はバラバラで、情報を集めるのに苦労したわ。それでも、分かりやすい図がかけた。

 図?

 そう。私の周りはほとんど知っている人がいない。後輩もそう。それでも、自分の学年に知っている人はいた。その詳しさをまとめると、藍のクラスの人が一番詳しかったのよ。

 ……そこまで聞き込みしたんですか……。

 いや、そんなにやってないわ。どれくらい知ってるかってのは当然噂の伝わる経路によって判断されるからね。ほとんど知らない人が大半。願いが叶うと言う概要だけ知っているのが少々。だけど藍のクラスだけは、五の倍数ルールまで知っている人が多かったの。何かのこだわりかしら。

 もしかしてその辺も分かってます?

 そうね。五の倍数ルール、すなわち五つ中一つは願いを逆に書く、と言うルールがあるおかげで、あの伝説の信用性はアップする。どれが叶った願いか曖昧になるから、叶わなかった願いが目立たなくなる。仕掛け人がいるとすれば、そのあたりに気を使うだろうなって。

 さすがですけれど、それではアタシって絞れないじゃないですか。

 藍も迂闊ね。声明イラストがこの壁に貼ってある日付まで知っていたあんたは最も怪しいわ。夏期課外も参加していないはずのあんたが、この壁を毎日のように注目していたってことだからね。

 あはは、それはそうかもしれないっす。

 まあ別に問い詰めるつもりも無いけれど。つまり、犯行声明イラストについて私に相談したのは、そのあたり?

 そうっす。あれだけはどうにも不審でした。文字が書いていないからどんな願いか分かりませんでしたし、なんか気になってしまって。調べすぎましたかね。

 事件解決に繋がったから結果オーライじゃないかしら。……これは聞いていい?

 なんです?

 どうして、こんなことしたの?

 ……あれです、楽しいじゃないですか、願いが叶うのって。

 本当に、そんな理由?

 来夏にはかなわないっすね。本当はあれです。自分も、話を作りたかった。自分が物語りになって、主人公になりたかった。それだけです。

 ……ん、なんとなく分かった。

 じゃあ、質問返しです。

 なによ。

 この夏、探偵と言う主人公になってみて、来夏、どうでした?

 うーん……本音を言っていい?

 どうぞ。

 もう、こりごりね。





     ◆19


- 08/13:夏季休暇19日目

 母と朝食を食べているときに、あたしは覚悟を決めた。

 リビングにはいつもの静寂と、極限まで音量を小さくされたテレビの音。

 話すタイミングをはかり、思い切って声を絞り出す。

「ねえ、お母さん。……進路のことなんだけど」

 切り出すと、まじめな話だと思ったのか、母が姿勢を正した。そうされると話しづらい。もう少し気楽な流れで言いたかったのだけれど。

「もう気づいていると思うけど、あたしが進路を決めなかったのは、駄々をこねたかっただけだったの。少なくとも、大学だろうと就職だろうと、自分が行きたいと思うものでなければ意味がないと思ってた。その進路を見つけるためにもっと勉強する、っていうのも曖昧で嫌だった」

 だけど。

「この夏休み、一人の同級生と友達になったの。彼女は別に確固たる進路を持っているわけじゃなかったし、成績も運動も秀でてもいなかった。それでも彼女には、能力ともいうべきものがあったの。人の気持ちを、際限なく考えることができる力。思いやり、とも言えるけれど。それはあたしになくて、とてもすごいことだと思った。どこまでも自分勝手にしか動けない自分と違って、彼女が動く理由は、人のためだから。……つい、それが妬ましくって、利用してしまったけれど」

 知人の謎解きに付き合わせたり、事件に巻き込むどころか解決までやらせてしまった。一人の人間を告発までさせてしまったのは、『人の気持ちを考えられる』彼女にとってきついことだっただろうし、謝らなければいけないだろう。

 それはともかく、彼女の存在は、あたしを変えた。あるいはそれも、彼女の能力だったのかもしれない。

 突然関係ない話をして母が困惑しているかと思ったが、食事を止めてまっすぐにあたしのことを見ている。

 ああ、そうか。

 親は話を聞いてくれないわけじゃない。真面目になって、伝える状況を作って、伝える思いさえあれば、ちゃんと聞いてくれるんだ。おそらく同じくらい、話を聞きたいと思っているのだから。

 そんなことにここまで気がつかなかったあたしは、どこまで意地っ張りだったのだろう。

「それで、その彼女といろんな出来事を通じて、あたしは分かった。あたしは、いろんな真実を知りたいんだって。別に正義感ぶるつもりもないし、彼女みたいに察する能力もないし、正しさを振りかざすことの危うさも知っている。それでも、自分からみた真実を見極めるのと同じように、他の人にとっての真実も考えてみたい。それで、自分のは今でもできるけれど、他の人の思いを知る行為は、今のあたしにはできない。だから、それを知る方法を探すために、そういうのに特化した場所に進みたい」

 あたしは彼女に教えてもらった。自分が持つ真実と同じくらい、他の人も真実を持っている。それは思いとなり行動となり、この世界にあふれ出している。彼女はそれを読み取っていたのだ。

 それが間違いだったり傲慢だったりするのは、『決め付けた』時だけ。考えて読み取る行動をやめたときだけ。

 あたしは、考え続けたい。

「佳奈」

「なに?」

「もしかして、法学を?」

 やはり母は鋭い。きちんと話を聞いてくれている。

 ……ああそうか、これこそが、読み取ってくれたということなのか。

「うん」

 うなずくと、母が頬に手を当てて考え込む。勘違いされないように付け加える。

「今回のことと、お父さんのことは別だから。別にお父さんの後を追うわけでも、弁護士にただ進みたいというわけでもない。そういう職業についても、まずきちんと知ってからにしようかなって。むしろお父さんには黙っていてほしいかな。勝手に騒ぎ出すだろうから」

 そういうと母はくすりと笑う。

「分かったわ。大丈夫。佳奈が伝えたい時に伝えなさい。あなたの決めたことなら、きっと分かってくれる」

 そういう母のさわやかな顔は、どことなくライカを連想させた。彼女も、同じような顔をする。謎を解いたとき、いや、人の思いに関する仮説が当たっていた時。人と人とが通じ合ったんだと、安心するような表情。

 あたしもいつか、その表情を得るのだろうか。



 母は食事を再開しながら、楽しそうにつぶやく。

「佳奈も、お父さんと同じこと言うのね」

「え、なに」

「『人にとっての真実を知りたいんだ』ってところ。知り合ったときに口癖のように言っていたわ。やっぱり親子っていうか」

 そう言われると恥ずかしいけれど、何となくそれを聞いて、父の存在が久しぶりに近く感じた。

 二人で食事を終え、片づけに立ち上がる。思い出したように母が言う。

「来週、お父さんが久しぶりに暇になるって。新入りの人がやっと仕事を任せられるようになったみたい。前みたいに家でゆっくりできると思うわ」

「ふうん」

「今までにないくらい甘えなさい、どこかに連れて行ってもらうとか」

 甘えようにも夏期課外はどうしようもない。まあ、父と話す時間は増えるだろう。あたしの思いを伝えるように、父の思いを、今度きちんと聞いてみたい。

 気になって、いたずら半分に返してみる。

「お母さんも甘えたいんじゃない? 今度買い物にでも行こう、三人で」

「そうね、お父さんは荷物運びで」

 母と二人で大きく笑ったのは、数ヵ月ぶりだったかもしれない。



 母が玄関を出るのを追うように、私は靴をはく。

 怪訝な顔をする母。

「あら佳奈、出かけるの? 今日は課外がなかったんじゃ」

「ううん、今日は別件」

「なにかあるの?」

 何と答えようか迷って、一秒だけ考える。ひとつしかなかった。

「ちょっと、クラブという名の部活動に」




     ◇20


 駄菓子屋ケヤキに着いた時には、もう日がかなりの高さだった。暑い。

 後ろを付いてきた藍が弱音を吐く。

「来夏たちも休みなんでしょう? どうして朝から活動的なんですか」

「いいじゃない、ラムネおごるからさ」

 古びたベンチに座ると、日陰のおかげで汗が引き始める。

「あれ、佳奈さんは?」

「今に来るんじゃないかしら」

 そういうのと同時に、向こうに彼女の姿が見えた。

 いつもと同じように、全身を使って全速力で駆けるカナ。その姿は性格を体現しているようで、実はいつも努力していると言うことを、この夏で私は知った。

「お疲れ、カナ」

 そういうと、今までに無い笑顔で彼女は私たちの前に立ち、言い放つ。

「おはよう! 暑さに耐えられないひ弱な諸君!」

「この気温は無理でしょう……」

 すぐにクーラーの聞いた店内に入るカナを見ながら、人のことは言えない、と思った。



「え、マジですか? なんでそんなことを」

 藍は当然のように反対を示す。

「いいじゃない、『五つ目の願い』ったって、願いをかなえる人員は必要でしょう?」

「そうですけど……」

 私の提案した意見は、ラムネクラブが『五つ目の願い』の伝説を後押しすると言う内容。ちなみにこの仕掛けについてはカナにも話してあった。

「ふふ、いいかもね、どうせラムネクラブは暇になったし」

 同意するカナ。

「でしょう? もう観念しなさい」

「はあ……まあいいですけれど……」

 どうでもいいことを喋り続けるまま、時間が過ぎる。

 一応、提案の理由はあった。主人公になりたい、と言う藍の願い。私も少しだけ、それに憧れていたから。

 どこまでも、自分は自分の主人公でありたい。



 一通り話が終わり、ラムネで乾杯する。

 暑さをのろい、勉強を恨み、それでも私たちは、ここにいる。

 人の気持ちとかを考えながら、もがきながら。

 ラムネをもう一口飲んだ。

 その味はやはりどこまでも、甘くて、それでもすっきりと、すぐにどこかへ飛んでいった。




          ラムネクラブ おわり



INDEX

第一話 静かな声音が、その場に響く
第二話 小さな期待が、その子を動かす
第三話 健気な言葉が、手紙に現る
第四話 数奇な対面が、全てを始める
第五話 苛烈な降雨が、虚像を暴く
第六話 二つの事件が、過去から交わる
第七話 一つの推理が、未来に導く


INFORMATION
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