ラムネクラブ RamuneClub

  第一話 静かな声音が、その場に響く



  義里カズ




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 私がラムネクラブに入った理由は色々あるのだけれど、やっぱり一番の理由は「ラムネが好きだから」に尽きる。

 その透明で甘い飲み物は、空のように青く細長いビンに入っている。外に出てベンチに座り、太陽にそれをかざすときらきらと反射し、まるで万華鏡を覗いているような気持ちになる。手を下ろし、ベンチの上にラムネのビンを置く。手が汚れないよう、ふたの代わりをしているビー玉を押し込む技術はラムネ好きなら得意分野だ。そしてまたビンを持ち上げ、その中の液体と中心に浮かぶビー玉を覗き込み、気分から涼しくなったところでそれを口に運ぶのだ。

「あの味ほど幽かで涼しい味があるものか」

 誰かが書いた小説でそんな一文を読んだことがあるけれど、私にとってそれはラムネにとって当てはまる。

 涼しき味。夏にはぴったり。

 だからなのだ。

 だから、私は夏休みにラムネを買い、そしてそのせいでラムネクラブに入ることになってしまったのだ。



 校門を出ると、私はすぐに「ケヤキ」に向かう。

 「ケヤキ」とはお店の名前だ。田舎によくある商店というか、どちらかといえば駄菓子屋のほうが近いかもしれない。コンビニの店内を小さくしたような明るい店内と、店先にある休憩用のベンチ。そしてこれが一番重要なことだけれど、この街では数少ないラムネを常時売っている店である。もっともそれは、私たちがいつもベンチに入り浸って、ラムネばっかり買っているからかもしれないけれど。

 店に着き、その看板を見上げる。緑色の文字で「KEYAKI」。いつ来ても、なぜ店の名前がケヤキなのか分からない。いつか聞いてみよう。

「いらっしゃい、来夏(ライカ)ちゃん」

 店内に入ると、いつもの店のおばちゃんがニコニコと笑う。あまりにここによく来るので名前を覚えられてしまった。

 私も挨拶をし、カウンターにラムネを一本置く。

 おばちゃんはレジをパチパチと打ちながら言う。

「大変ねえ、夏期講習も」

 学校は夏休み。高校二年生ともなると、学校では休業中にもかかわらず夏期講習が開かれ、大学進学を目指す生徒で教室は埋まる。私もその一人だ。ちなみに、「教室は埋まる」は実は比喩表現で、実際は自主休業や仮病などのすばらしい言い訳でたいていの人はたまにしかやって来ない。まあ、私の学校は進学校でもないのでそんなものだ。

 私はおばちゃんに聞く。

「カナは来ていませんか?」

「佳奈ちゃん? 今日はまだ来てないわよ。いつも一緒じゃないの?」

「なんか、用事があるから先に行っていて、と」

 講習が終わった瞬間、教室から走り去ってしまったカナの姿を思い出す。低い背に、さっぱりとしたショートカットの女の子が廊下に飛び去る。まるで俊足ハムスターだ。出会う前から活発な子だなあと思っていた。私とは逆だ。

 カナの用事とは何か考えそうになるけれど、すぐにやめる。どうせすぐに会うのだ。いくら用事があったって、勉強で追い詰められていたって、彼女はここにラムネを買いにやってくる。

 カナは、ラムネクラブの部長だからだ。



 買い物と会話を終え、店を出てベンチに座る。歩道を挟んで目の前にあるアスファルトを見ていると、それだけで汗が吹き出してきそうなものだけれど、ちょうどベンチの周りだけ日陰になっているのが幸いだった。ラムネを飲むには最適な状況。さあ、楽しもう。

 私が一口目を飲もうとしたその瞬間、右の方で大声がした。

「ライカ!」

 だだだ、と大きな足音が私に急接近してきて、私の左手にある神聖なラムネのビンをひったくり、そのままの勢いで左の方に走っていく。

 ごくごくごく。ラムネ泥棒は振り返り、女の子にあるまじき大きな音を立ててラムネを飲み始めた。綺麗な透明の液体が、どんどんビンから彼女の口の中へと消えていく。半分ほど、その宝石のような飲み物を飲み干し、彼女は大声で言った。

「あー、おいしい! やっぱり夏はラムネに限るねえ!」

 私は歩道に仁王立ちするショートカットの同級生をにらんだ。

「せっかくのラムネの時間を奪うなんて、ラムネクラブの部長にあるまじき行為なんじゃないの? カナ」

 ラムネ強盗ならびにラムネ執行妨害で逮捕だ。ついでに逃走罪も。

「ごめんごめん、買ってあげるから許して」

 セーラー服姿に短く切られた黒髪。ヘアピンで何箇所か留めているのが彼女のトレードマーク。小顔で、いつも満面の笑顔を浮かべている。まるで小さな向日葵。

 藤島佳奈(カナ)。ラムネクラブ創立者であり、部長であり、そして私をラムネクラブに引っ張り込んだ張本人だ。

 私はその幸せそうな笑顔に言ってやる。

「それあんたにあげるから、早く二本分の代金よこしなさい」

「二本? あたしのも買ってきてくれるの?」

「なに言っているの、二本とも私のよ」

「ええっ、二本は多いよぉ。代わりにアイス買ってあげるから許して」

「ふうん、しょうがないわね」

 まあ私は得しているからいいか。私はカナを引っ張ってケヤキの店内へと入っていった。



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「そういえば、教室で言っていた用事ってなんだったの?」

 ラムネ泥棒との和平交渉が成立し、ベンチでラムネを飲みながら私はカナに訊いた。

 カナは隣に座り、ラムネのビンをごくごくと傾けている。なんと二本目だ。カナのラムネを飲む様子はとても気持ちがよく、その点は私もラムネクラブの一人として認めている。さすが部長。

 八月で時刻は午後二時三十分、ちょうど一番暑い時間帯だ。おそらくこの日の照りだと、二十五度以上の夏日になっているだろう。このベンチの周りだけ日陰で、日光に囲まれている感じがする。蒸し暑いと言うよりは、からりとした感じの高温だ。アスファルトでできた道路の向かいは小さな林になっているけれど、草も多くて入ることができないので涼むこともできない。セミの声が暑さを助長している気がする。

 あらかたラムネを飲み終わったところでカナがやっと質問に答えた。

「うんとね、ちょっと友達に頼まれちゃってさ」

「なにを?」

「怖い話の謎を解いて欲しいって」

「はあ?」

 思わず訊き返す。

「なに、都市伝説の謎って?」

「都市伝説じゃないよ、怖い話。あたしの友達が体験したらしくてさ、ちょっとその話を聴こうと思ったから」

 ふうん。まあ興味はないけど。

 ところがカナは私の顔を楽しげに覗きこんだ。

「ねえライカ、聴きたい?」

「全然」

「うんうんそうかそうか、やっぱりライカも聞きたいか。そう思ってね、彼女を呼んであるの。ケヤキで待ち合わせって」

 いやいや、全然って言うのは全然オッケーって意味じゃない、と言おうと思ったが、それよりも話の後半が気になった。

「え? なに? 呼んであるって」

 思わずカナを見て聞き返した瞬間、後ろで声がした。

「あ、あの。佳奈さん、ここだって聞いたんですけど」

 びっくりしてひっくり返りそうになった。まったく人のいる気配がしなかったから。声のしたほうを振り返ると、そこには一人の女の子が立っていた。



 岩波美晴(みはる)さんは私たちの隣のクラスで、カナとは中学校時代の友人らしい。

 私の横に急に現れたときもびっくりしたけど、岩波さんの背の大きさに私はまた驚いた。私はクラスの女の子の中でも大きいほうで、逆にカナの方は私より頭ひとつ分小さくてクラス最下位を誇っている。ところがそこに立っている岩波さんは、この私よりも背が大きい。手足も顔もすらりとしていて、動物でいうとシャムネコのような感じだ。

 性格もおとなしいようで、この暑いのに長袖のシャツを着て、熱中症対策なのか帽子をかぶっている。

 カナはどうやら、このケヤキのベンチで岩波さんの相談を聞く計画だったらしい。早く言ってよね、部長。

「ごめんごめん、やっぱりラムネクラブとしてはここが活動場所だから」

 カナはよく分からない理由でごまかす。いつからラムネクラブは相談所になったのだろう。

 おどおどしている岩波さんを放っておくわけにも行かないので、とりあえずラムネを飲みながらベンチに座り岩波さんの話を聴くことになった。



 ケヤキのベンチは大きいので四人ぐらいは座ることができる。左からカナ、岩波さん、私の順。前から見たら、まるで表彰台みたいに見えるかもしれない。

 真ん中に座る相談者こと岩波さんは、ラムネを開けるのに失敗し、手をハンカチで拭きながら、話し始めた。

「えっと、先週の日曜日の話なんですけど、わたしと友達三人でわたしの部屋に集まったんです。いつもお話したりとかお菓子食べたりとかするんですけど」

 カナが相槌を打つ。

「いいねえ、ラムネクラブみたい」

 だからラムネクラブは目的不明の私的団体なんだってば。私がそのことを咎めると、なんと岩波さんが口を挟んだ。

「あ、私たちの集まりも私的団体って言うか、仲間内で集まったんですけど」

「何の集まり?」

 岩波さんは下を向いて頬を染める。

「……聞いても笑いませんか?」

 それは話によるけど。

「笑わないわよ」

「うん、笑わない」

 数秒の間を空けて、意を決したように。

「……彼氏がいない会、です」

 ……えっと。

 どう声をかけようか逡巡してしまった私とは逆に、カナは大きな声を上げた。

「え、面白そう! いいじゃん、女の子同士で悩みを話し合うなんて! ねえ、今度あたしも入れて!」

 カナの突っ走る性格はいつものことだけれど、今回はそれに助けられた気がする。もし気まずくなったら岩波さんもいたたまれなかっただろう。私も慌てて、うんうん分かるよその気持ち、と頷いた。ラムネクラブだって同じようなものだ。

 こほん、とわざとらしい咳払いをしてから岩波さんは話を戻す。

「それで、色々な話で盛り上がったあと、せっかくだからキッチンにあるケーキを出そうと思って、わたしは部屋から出ました。ケーキを冷蔵庫から出して、お盆に載せてから部屋に戻ったんです。で、わたしが部屋の扉の前に立ったとき、それは起こったんですよ」

 もったいぶるように一拍間をおいてから続ける。

「部屋には女の子三人しかいないはずなのに、扉の向こうから聞こえたんですよ。まるでもう一人がいるみたいに、四人で会話する声が。わたしは驚いて部屋に入ったんですけど、もちろん友達三人しかいなくて、『四人で話してなかった?』ってわたしが訊いても、『そんなことない』っていうんです」

「その四人目の声は?」

「私が部屋に入ったら聞こえなくなりました。部屋の扉の前で聞いていたときは、小声でなにを言っているかまでは聞き取れなかったんですけど、まるで男の人の声でした」

 ふうん、確かにそれは怖い話かもしれない。いないはずの男の人の声、か。

 カナは当たり前の疑問を言う。

「テレビが点いていたんじゃないの?」

「その時テレビは点けていませんでした。ラジオとかもです。友達が急に消した、ってのもなさそうです」

「あ、そうか」

 となるとCDプレーヤーとかもだめか。

 少し興味が出てきたので私も訊いてみる。

「その時岩波さんの家には誰がいたの?」

「えっと、わたしたちのほかにはお母さんだけです。家中見て回りました。部屋に知らない人がいた、って言うのは怖いですから。外とかも見ましたけど、男の子が遊んでいた、ってこともなかったですね」

 カナが首をかしげる。

「誰かが男の声の真似をしていたとか」

「そんなこともないです。間違いなく四人でごちゃごちゃ会話しているようでした」

 ううん。ってことは、何かの物音が声に聞こえた、ってこともなさそうだ。私は悩む。

これは考える価値がありそうだ。私はこういうパズルのような問題が好きで、受験勉強が飽きてきたときは千円くらいで本屋さんに置いてあるるクイズ本なんかをよく読む。今の話はちょっとパズルっぽくて好奇心をくすぐられる。

 一番不自然な点なのは、岩波さん自身がその男の声を聞いていない、ということだろう。部屋に入るまでその男の人の声が聞こえ、ドアを開けたら聞こえなくなった。しかも、中の三人は、四人で会話していないと証言している。部屋には他に音を出すようなものはない。

 ……いや、本当にないの?

 岩波さんの話がぐるぐると頭の中で回る。『四人で話してなかった?』『そんなことない』。三人は、もう一人いるみたいに会話をしていた。

 ……ひとつだけ、可能性を思いつく。

 おそらくこの質問が、解決へと導いてくれるだろう。

「岩波さん、ちょっと訊いてもいい?」

「なんですか?」

「例えばさ、そこのヒナとかその三人のように仲良くしていた友達とかがさ、実は周りに彼氏がいるのを隠していたとすれば、どう思う?」

 怖い話とは関係のない質問に、岩波さんは戸惑った。

「え? ……まあ、どうして言ってくれなかったのか、ぐらいは言いますね」

 やっぱりか。まあ、彼氏がいない会に入っているからには当然だろう。なるほどね。

 私が会心の笑みでも浮かべていたのだろうか、カナが訊いてきた。

「なに? ライカ、分かったの?」

 私は手に持っていたラムネのビンをからりと振り、答えた。

「まあ、分かったというか…… たぶん、ひとつの可能性は浮かんだわ」



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「え? なにか気づいたんですか?」

 岩波さんは驚きの声を上げる。そんなに期待しないで。

「気になるねえ、ライカ先生」

 こっちはニヤニヤ笑いのカナ。

 私は躊躇していたが、このまま黙っていても仕方がないので、私は思いついたことを喋り始める。

「話し声でしょう? もし岩波さんの部屋とかに男の人がいなくて、テレビやラジオとかの物音でもないとしたら、残るは可能性はひとつしかないじゃない」

「じゃあ、なに?」

 私の頭の中に一瞬だけ『話していいのか』という思いが浮かんだけれど、ここまで言ってしまったからには続けて話すしかない。

「電話よ。携帯電話」

 二人の顔に疑問の色が浮かんだ。ううん。もし、この仮説を外していたらちょっと恥ずかしいなと思いながら、私は一気に話す。

「岩波さんが自分の部屋から出て行った後、友達の一人の携帯電話に着信が来たのよ。その友達はその電話に出て、ほかの二人がそのことについて話していたとしたら。ドアの前にいた岩波さんは、携帯電話からの声を『四人目』と勘違いしてもおかしくない」

 案の定岩波さんが反論した。

「いえ、それは変です。ドアを開けたときは誰も携帯電話で話したりなんかしていませんでしたし、それだったらわたしが友達に聞いた『誰かいなかった?』という質問に『そんなことない』と言っていたのとも矛盾しますよ。電話で話していたといえばいいんですから」

 そう、私もちょっとそこでつまずきそうになった。でもその問題を解決する方法はある。それこそが答えだ。

「電話してたのを隠したかったのよ、その友達は。なるべくそれを知る人は少ないほうがよかった。だからその時、岩波さんが来た気配を感じてあわてて携帯電話を隠し、話していることをもみ消そうとした。だって」

 一拍おいて。

「それは、その友達の彼氏からの電話だったから」

 岩波さんがぽかんとした顔になる。無理もない。カナのほうも首をひねっている。

 私はそのときの光景を想像し、言葉にした。

「彼氏持ちの友達をAさんとするね。その友達Aは、自分に彼氏ができたのを隠して『彼氏がいない会』に参加していた。岩波さんが部屋にいないとき、友達Aにその彼氏から電話がかかってきたの。ほかの二人の友達は咎めたでしょう。『彼氏がいない会なのにどうしてあなたに彼氏がいるのよ』ってね。それについて友達Aが説明しようとして、さらにその彼氏が電話先で『どうしたんだ』とか聞いたりしたかもしれないわ。そしてそこに岩波さんが聞き耳を立てたら。……まるで、四人で会話しているように聞こえるでしょう」

 ヒナが納得した顔でうなずいた。

「なるほどねぇ。だから男の人の声が小さく聞こえたんだ。携帯からもれ聞こえていたから」

「そういうこと。そして友達Aはおそらくこう思ったのかも。『もし岩波さんにも彼氏がいることを知られたら、自分だけほかの三人に糾弾されるかもしれない』って。だから被害を最小限にとどめようと、携帯を急いで隠したの」

考えついたときは荒唐無稽な仮設だなと思ったけれど、カナは分かってくれたようだ。パチパチと拍手をしてくる。

「すごいすごい、なんかそんな気がしてきた。……ライカ、どうやって気づいたの」

 どうやって、といわれても。強いて言えば。

「……話の途中、違和感を覚えたかな。岩波さんの『四人で話してなかった?』という質問に、『そんなことない』って返すのはちょっとおかしいと思わない? 誰も男の人の声を聞いていないのなら、まずは『なんのこと?』とか言うでしょう。それなのに『そんなことない』なんて否定から入ったのは、部屋にいた三人がみんな事情を分かっていて、あわてて隠したからとしか考えられないわ」

 全部仮説だけどね、と付け加えようとして私は止まる。岩波さんを見ると、黙ったまま顔を深く下げていた。

「……岩波さん?」

 声をかけると、数秒の沈黙の後、ぞっとするような静かな声が返ってくる。

「……わたし、うすうす感じていたんです。友達の一人が、最近遊びに誘ってもなかなか来なくて。いったいどうしたのかなって、思ったんですけど」

 岩波さんは顔を振り上げる。目の前の林をまるで敵のように見据え、すうっと大きく息を吸った。リスのように頬を膨らませ、一瞬動きが止まったかと思うと、そのおとなしそうな容姿とは真逆の行動を取った。猫も逃げるような形相をして、

「このぉ、裏切り者!」

 びっくりするような大声で叫んだ。

 カナはあっけに取られている。私はため息をついた。……予想通りだ。

 たとえ友達Aが自分に彼氏がいることを隠そうとしても、本来ほかの友達二人はそれを隠す意味はない。彼氏がいない会の集まりにおいて、友達Aは糾弾されて当然なのだから。それでも、ほかの友達二人が友達Aに話を合わせ、岩波さんに知らせないようにしたのは、「岩波さんに彼氏持ちであることを知られるのが一番大変なことになるだろうと思ったから」に他ならない。おそらく、自分の家でそんなモテない会を開いたりする岩波さんこそがその集まりの中でリーダーなのではないだろうか。学校ではおとなしくしているけれど、実際はこんな風に叫ぶくらい怒りっぽい人なのかもしれない。岩波さんの様子を見て、私はそう思った。

 まあ、これも仮説に過ぎないけれど。

 岩波さんをあわててなだめようとするカナを見ながら、私はどうやってそこに割り込もうか考えていた。



「……ふう」

 本日二本目となるラムネを一口飲み、私はやっと一息ついた。いつもは一日一本と決めているけれど、今日は例外だ。頭を使ってかなり疲れたから糖分が必要だ。

 時刻は三時。まだまだ気温は下がらない。ちょっと気を抜くとすぐに汗が吹き上がってくる。

 カナも同じようで、バックから制汗スプレーを出して制服の上から吹きかけている。意味があるのだろうか。

 今、ベンチには二人だけ。岩波さんは叫んですっきりしたのか、私たちにお礼を言った後に帰っていった。友達Aがあとでどうなるか、なんて考えたら怖いことになりそうなのでやめておく。まったく、人というのは分からないものだ。

 スプレーをしまうと、カナがしみじみとつぶやいた。

「……彼氏ねえ」

 その静かな一言で、ほんの少しだけれどカナの考えていることが分かった気がする。

 ……彼氏がいない会。ラムネクラブだって、そう大差はない。目的不明の私的団体だから。でも、ラムネクラブには、岩波さんたちのような争いはないだろう。集まった理由がラムネ、ただそれだけだから。私はこの点を気に入っている。だから講習が終わるとすぐ、いつもこのベンチに座るのだろう。

 私もカナも、それ以降はしばらく何も言わない。この空間が、心地いい。

 やがて、私は立ち上がる。渋い顔をしていたのだろうか、カナが私を見上げ訊いてくる。

「どうしたの?」

「……ラムネ二本も飲んじゃった。これは太るわね」

 私が苦々しげに言うと、カナは笑った。

「まあ、人にはそれぞれ悩みがあるって事で」

 その通りだな、と私は思った。



第一話  おわり


INDEX

第一話 静かな声音が、その場に響く
第二話 小さな期待が、その子を動かす
第三話 健気な言葉が、手紙に現る
第四話 数奇な対面が、全てを始める
第五話 苛烈な降雨が、虚像を暴く
第六話 二つの事件が、過去から交わる
第七話 一つの推理が、未来に導く


INFORMATION
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