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二十万と一つの印



 義里カズ




 大理石の校門、錆びきった遊具、クリーム色をした校舎の壁。

 どこを見ても思い出だ。懐かしさと寂しさが混在したこの土地に踏み込むには、少しばかり覚悟が足りなかったのかもしれない。

 久しぶりに訪れた小学校はあまりに小さく、僕の記憶すらもそうして縮んでしまったのかと思った。実際は、成長だ。

 感傷に涙腺を刺激されないことを願いつつ、校庭に第一歩を踏み出す。

 目指すはただひとつ。僕が地元を出ても唯一忘れられなかった、気がかりな思い出。

 それは校庭の端に、さびしく鎮座していた。

 十数年前まで、遡る。




            ○



 小学校に併設されている図書館。そこの二階には視聴覚室がある。

 プロジェクターや暗幕、指示棒がひしめきあうように置かれてはいるものの、大きさは家の和室よりちょっと大きいくらい。壁の一面にはスクリーンが貼られ、その反対側には放送室に繋がる連絡窓、あとは入り口の厚いドアやアルミ棚が据えつけてあり、数十人が座れるほどの中央スペースを除けば、はっきりいって雑多としていた。この部屋は小学校の物置のようなものだから。

 そんな状態だから授業で使われることなんて数えるくらいしかなくて、せいぜい交通安全教室だったり学年集会だったり、そういった特別な行事しかない。プロジェクターなら本校舎にもある。それこそ生徒によっては卒業までにこの室内に五回も入ればいいほうだろう。

 図書館は大人も入れるけれど、視聴覚室を利用したイベントが行われることはまずない。僕たちにとって併設図書館は体のいい暇つぶしか遊び場くらいの認識。

 だから。

 そんな物置同然の薄暗い室内に女の子がいるなんて、僕は思いもしなかった。 


「……なにしてるの」

 僕がドアを開け、電気が点いていることについてまず驚き、次に同じクラスの同級生がひとりでいたという事実に愕然とし、そこからだいたい七秒は硬直して、やっと口から出てきた言葉がこれだった。

 誰も使わない視聴覚室に、ひとりの女子。

 部屋のど真ん中、クリーム色の床に女の子座りしているそのクラスメイトは、ドアノブを握ったまま硬直している僕の様子をちらと見上げる。鋭い視線とそれに反するようなふわふわしたロングヘア。ぶっきらぼうに訊いてきた。

「だれ?」

 思わずこけそうになる。

「だ、誰って、同じクラスじゃんか!」

 首を傾げる彼女。

「そうだっけ。……んー。ああ、笹谷くんか」

 その通り。認識してくれたことはありがたかったけど、僕の最初の質問には答えてくれない。彼女はこちらに興味がないらしく下を向いた。なんらかの作業を続けている。

 視聴覚室はいつも中央の床だけきれいに片づけてあるけど、今はそうではない。彼女が広げたのであろう、コピー用紙や無数にわたる一センチ四方くらいの紙切れがばらまかれていた。紙吹雪かとも思ったが違うらしい。彼女はそれら紙切れを集め、揃えたり糊をつけたりしている。どことなく散らかった部屋を綺麗にする母親のようにみえるけれど、彼女の背が小さいのでむしろ散らかす側の幼児のほうが似合う。さすがに言えないけど。

 こっちを見ず黙々と作業を続ける彼女の眼は真剣そのものだったけど、僕は我慢できず、再び声を掛けてみる。

「なにしてるの、こんなところで?」

「……笹谷くんは?」

 どうやら彼女は、質問に質問で返すのが得意らしい。話が進まない。埒があかないので自分から答える。

「僕は三角定規片づけてこいって菅原先生に頼まれたから来た。算数係なんだよね、僕」

 手をあげ、大きな三角定規を見せる。彼女はしかしこちらを見てくれない。

「ふうん」

 彼女が何の作業をしているのか気になって近づいたら、突如慌てたように片づけ始める。数百枚にのぼる小片を両手でかき集めビニール袋に入れた後、コピー用紙も揃えて抱え、まとめて部屋の端に仕舞いこむ。立ち上がって膝のほこりを払う。

「そこまで見られたくないものなの?」

「……そういうわけじゃないけど。噂にされるのは嫌だし」

「なんのうわさ? というかなにをしてたの?」

 再三の質問攻めにうんざりしたのか、彼女はこちらを一瞥し、僕の横を通り過ぎながら切り捨てる。

「笹谷君には関係ない」

 扉から出ていく気配を背中で感じながら、僕はひとりごちる。

 なんだったんだ。


 その子と僕は、もともと接点が少なかった。なにせ僕としては思春期入りたてで女の子と話すのにも一々緊張しており男同士でつるんでいるのが気楽だったし、席替えでその子と近くになった機会もないから、話すことなんてほとんどなかった。それにしても、あれほどコミュニケーションに齟齬が生じた接近遭遇なんてなかなか味わえるものではなかったけど。

 ところで僕の小学校では、算数の授業というのは週に三回ある。それすなわち三角定規の使用頻度もそれくらいはあることになるから、数学係の僕としては毎回校舎から併設図書館まで歩き片づけに行かなければいけない。

 彼女は毎日視聴覚室に入り浸っているらしかった。驚くことに。

 なんでまた、と僕は思う。休み時間なんてサッカーやキックボールで遊ぶためにあるようなものだし、最近の教室はトランプだったりトレーディングカードだったり、インドアな遊びも流行っている。時間をつぶすイベントには事欠かなかった。友達が少ないのかとも思って教室での彼女を観察していたものの、むしろ僕よりは社交的だった。体育でも積極的に活動し、その鋭さがどことなく豹のイメージ。だからこそ、たまの休憩時間に狭い部屋で一人縮こまっている理由が分からず、どうしても僕は気になった。

 しかし彼女の防御は生半可なものじゃなかった。

「なにをしているかくらい教えてくれてもいいんじゃ」

「知らない。言わない。うるさい」

 一歩寄ると、彼女は一歩引く。

「横で見てるだけ」

 じりじり、じりじり。

「もういい」

 彼女は切り捨ててまた紙の山を仕舞う。僕が視聴覚室に行ってからの流れは、いつもこんな感じだった。

 あきらめるものか。

 僕の性格を姉に評させると、「関わりたがり、訊きたがり」らしい。どうもけなされている気がしないでもないが、確かにこうして彼女が何をしているのか知ろうとしているのは、そういう性向があるからなのだろう。

 方法を変えた。話したことのない異性から突然質問攻めでは、誰だって警戒心を強めるだろう。あくまで少しずつ、雑談から。もともとクラスメイトなのだから、意味もなく拒否されるいわれはない。

 週三のコミュニケーションを繰り返すうち、なんとか進展らしいものを感じられるようになって来た。そして、彼女がここで何をしているのかもなんとなく理解する。きっかけは、自分たちの教室にある委員会分担表。彼女の名前が環境委員会のところにあったのだ。

 彼女がいじっている小片。

 あれは、ベルマークだ。

 生活用品や文房具など、色々な商品についている数センチ四方の箱で囲まれた鐘の印。これを一定数集めると何らかの製品と交換できる活動。学校単位でベルマークを集めてどこかの団体に贈ると聞いた。詳しくは知らない。僕たちの学校ではそのベルマークの集計の任を担っているのが環境委員会。

 ある時、彼女は説明してくれた。

「各教室に入れ物を置いておいて、数ヶ月に一回集めるんだけど、そんなに入れてくれる人なんていないの。委員会でも仕事するのをやめて、いまではこうしてただ箱に突っ込んでいるだけ。……これじゃ、何の意味もないのに」

 たしか環境委員会は、花壇や動物の世話、掃除のチェックなどたくさん仕事があったはず。そのせいでいつも人気がない。それに加えてベルマーク収集の仕事なんて、確かに忘れ去られても仕方がないかもしれない。

「それで、集めてるんだ?」

 何気なくそう言ったら睨まれた。

「あのね、集めるだけが仕事じゃないの。集めたら、ベルマークがついた商品の会社ごとに仕分ける。そしてそれぞれを、ベルマーク点数ごとに分けて計算し、袋に書き込んでベルマークを入れる。すべて集計し終わったらベルマークの本部に送る。ここまで全部、委員会の仕事」

「なるほど……」

 思った以上に力が必要らしい。知らなかった。

 あともう一つ、疑問。

「誰か、手伝ってくれる人は? ほら、別に委員会で決まってなくても、ボランティアとかで」

 再び睨まれる。怖くて言い切れない。

 さすがに二つ目の質問は癇に障ったようで、彼女は床にベルマークを散らかしたまま外へと出て行った。扉を閉める大きな音が彼女の感情を表しているようだった。


 教室での彼女の様子は、普通だった。でもそれはクラスメイトの僕から見たあまりに遠い距離からの印象。それだけ僕は、彼女のことをよく知らないということでもある。

 だから視聴覚室の彼女は、少なからず新鮮だった。

 彼女がこの部屋にいる理由も、少しながら分かってきた気がする。

 例えば彼女がこの作業を教室で行っていたとして、なにも関心を持たない子はいないだろう。「なにしてるの」と駆け寄ったり、場合によっては疑わしく感じるかもしれない。なぜなら「自分たち」にとって普通でないことをしている子は変、そんな発想が、教室という場所にはあふれているから。

 誰もいない視聴覚室にもぐって作業すれば、他の人に関心をもたれる心配は減らせる。休み時間の度に消える彼女というのもそれはそれで注目の種だろうけれど、そのあたりは視聴覚室へ訪れる頻度を変えればいい。それだけ、こそこそとしたいのだ。

 でも結局「なぜ誰の手も借りないのか」、そして「なぜそんなことをしているのか」については、いまだ分からずじまいだった。ベルマーク作業なんて、委員会で決まってない以上はやる必要なんてどこにもない。なにか理由があれば委員会で意見して仕事の一つに組み入れてもいいだろう。

 結局、僕と彼女の間には、「なぜ」という問いが横たわり続けていた。


 一度だけ、彼女が僕たちの遊んでいる場に現れたことがある。

 恒例となった昼休みのサッカー。運動神経のいい友達がボールをネットへと叩きこみ、破れているゴールネットからこぼれだす。サッカーゴールはそれくらい古い。友達が嘆く。

「このゴール、今すぐにでも新しくならないかな」

 そのボールが転がる先に、彼女が案山子のように立っていたのだ。

 敵チームの男子が大きな声で呼びかける。

「そのボールとってー!」

 足元まで転がるボールに対し、改めて気付いたような彼女は、足を二十センチほど下げてボールへとその力をぶつける。蛙のようにそのボールは浮かびコートへと戻ってきた。

「サンキュー」

 同級生の声にも返答しない彼女。なんだか心ここにあらずといった風情だった。少なくとも、僕らの遊びに目を向けている様子はない。もし声をかけなかったら、ボールが転がってきたことすら気付かなかったんじゃないだろうか。

 どこか遠くのものを見るような彼女の目が気になりつつ、僕は仲間の元へと走る。


「サッカー、混ざりたかったの?」

「そんなわけない」

 次の日の昼休み。僕は相変わらず数学係の仕事で、彼女はベルマークの整理の仕事だった。

「じゃあなにしてたの?」

「見てただけ」

「なにを? サッカー?」

 ため息をつかれた。

「笹谷くんって、疑問形が多いよね」

 あまり彼女が自発的に話そうとしないから、どうしても僕の質問が増えてしまう。しつこいだろうと自分でも分かっているけど仕方がない。

 彼女は手元のベルマークを集計袋に入れながら、思いついたようにこっちを見る。

「……ねえ、笹谷くん。サッカーのゴール、あれ新しくなったらいいって思わない?」

「へ?」

「ゴール。もう柵もネットもぼろぼろじゃない。替え時だと思うんだけど」

 僕は校庭にあるそれを思い出す。校舎と同じように長年使われてきたサッカーゴールは確かに古びているけれど、半分は仕方なくで、半ば諦めている。

 僕は頭をかく。

「確かに古いね。でもあれ、どの先生に頼んでも新しくするのは無理って言われるんだよ。用務員さんもろくに直してくれないし」

 珍しく、彼女は僕のほうをじっと見つめてくる。

「新しくなったら、みんなうれしい?」

「まあ、たぶん」

 嬉しい、とは思う。少なくともサッカーで遊びやすくなるのだから一部の男子は喜ぶだろう。

 僕の曖昧な答えに満足したのか、彼女は頷きながら集計作業を続ける。口元が嬉しげに笑っている気がした。

「ふうん……」

「それがなにかあるの?」

 詮索に対し目を向ける。その瞳にいつもの冷たさはない。

「別に」

「ベルマーク、手伝おうか?」

 相変わらずの沈黙。ああ、そう。結局反応が変わらないのか。

 昼休みもそろそろ終わり。次の授業は国語。

 廊下に出ようとした僕の背に、彼女の声が聞こえる。

「笹谷くん。……別に、手伝ってもいいよ。今度から」

 振り向いたけど、彼女の表情は見えない。認められた、のだろうか。それにしてはあまりに上から目線で許されたような気もする。

 予鈴のチャイムが控えめに鳴り響いた。


 そこからゆっくり近づくように、二人での作業が始まった。いつの間にか。

 手伝ってみて分かったけれど、これはあまりに仕事量が多い。

 各クラスでベルマーク回収。製造会社ごとの番号に仕分け。得点ごとに枚数集計。袋に入れ点数記入。一人でやっていたらいつ終わるか分からない膨大な手順。

 それにベルマークはいつも募集しているわけだから日々新しいマークが溜まる。得点交換はまとめて財団に送らなければならなかったりして、そういったタイミングも委員会で話し合ったりするらしい。

「……委員会に言ってみんなに手伝ってもらえばいいのに」

「だからそれはできないの。誰もこんな面倒くさいことやりたがらないでしょ。だからって強制なんてしたら意味ないし」

 彼女は手を休めず、それでも力強く言う。

「自分でやるの。自分で立ち上がって、やったんだって示すの」

 彼女の声が僕の耳を揺らし、視聴覚室の壁を跳ね返ってまた戻ってきた。

「なんか、かっこいい」

 思わず出た僕の感嘆を、彼女はいつも通り無視してくれる。

 ただ受身でいるのも悪いと思って、いろいろ提案してみた。

 各クラスへの呼びかけ、集会での発表、紹介プリントの配布。

「いらない」

 彼女は素気無く切り捨てる。まあ、委員会を通さないとそういった活動はできないだろうから、仕方ないことではある。

 それでもめげずに案をぶちまけたら、一つだけ通った。

 『紹介ポスターを作って掲示すること』

「それくらいなら……」

 珍しく彼女の困った顔が見られた。

 一人になってから僕はガッツポーズする。彼女ばかりに仕事を任せているような感触があったから、自分からできることがあるというのはとても嬉しい。

 家に帰ってから、僕は画用紙と格闘した。なるべく分かりやすいデザインで、ベルマークのことを紹介すること。余計な脚色はなし、あくまで見た人が「自分も集めてみようかな」って思うくらいのものを。条件は難しく、しかも僕はベルマークのことはまだ詳しくなかったから、いろいろ調べる。

 知らないことばかりだった。

 「ベルマーク運動」に参加できるのは学校PTAや公民館などの登録した団体。ベルマークがついている商品は運動に協賛した会社。それぞれの団体が収集、集計したベルマークは「ベルマーク教育助成財団」に送る。そうすると合計点数が「ベルマーク預金」になる。一ポイントが一円。預金が溜まれば、学校に必要な設備を協力会社から購入できる。

 つまり、集めたポイントによって、学校の色んな設備をそろえることができるということだ。

 集めれば集めるほど、学校のためにも、企業の振興にもなる。

 僕は資料を読みながら息を吐く。ただ単に学校が自主的にやっているイベントなのかと思っていたけれど、財団や企業、寄付活動まで、いろんなことが連なった活動だったのだ。

 ふうん。

 僕は資料をテーブルの横に置き、ポスター作業を続ける。深夜までかかった。


 そのポスターは許可をもらって、なんと中央玄関の掲示板に貼ってもらった。

 端には環境委員会のサイン。ここだけこだわって、わずかでも目立つようにしておいた。

 シンプルにこだわったデザインを見せ、彼女が評するのを待つ。

「ぎりぎり、合格」

「ありがと」

「こんなの、委員会の子に任せればいいのに」

 言っていることはもっともだけれど、そういうわけにはいかなかった。

 ふらりと彼女は廊下を歩き始める。目的地が分かって、僕も後を追う。

 併設図書館まで歩き、向かうは視聴覚室。最近ではもう、どうしてついてくるのかなんて皮肉を言われることもない。徐々に二人でのベルマーク集計作業が習慣のようになった。

 外では遊ぶ生徒の声が聞こえる。彼らにとっては彼女のこんな活動なんて気にも留めないだろう。前の僕がそうだったように。

 二人で向かい合って座り、ベルマークを分け、数え、記入する。たまに僕が話題を振ることはあるけれど、基本的には無言。静かな空気がそこには満ちていた。

 毎日、じっと作業する。

 未集計の枚数はどんどん減っていく。

 この二人の活動が、ゆっくりでもずっと続けばいいと思っていた。


 ある日、彼女が視聴覚室に来なくなった。

 いつもは僕より早く来るはずのあの子が、そこにはいない。登校はしているから妙ではあった。何か用事でもあったのかと思っていたけれど、次の日もその次の日も、視聴覚室は無人だった。

 ベルマークの類も端の棚に仕舞ってあるままだ。勝手に触るわけにもいかない。かといって僕の本来の仕事である数学係は続けていたから、道具の運搬のため視聴覚室には毎度通った。誰もいない寂しさばかりが目に付く。

 教室で彼女の様子を眺めるけど、特に変わった様子はない。いつも通りの静かさ。声をかけようにも、接点がないことにいまさら気づく。そっか、あの場所で会えないってことは、僕と彼女に繋がりがないってことか。

 視聴覚室を何度覗いても、状況は変わらなかった。僕の視線にも気づくことなく彼女はいつも通りに過ごしている。もう係の仕事など、忘れてしまったかのように。

 やきもきした日々が、ずっと続く。

 耐え切れなくなって、僕は一度だけ声をかけた。

 家庭科室への移動中、彼女が一人で歩いているところを見計らって声をかける。僕の顔を見て、彼女は少しばかりうんざりしたような顔をした。

「……なに」

「ベルマークの仕事、やめたの?」

 訊くと、彼女の目の色が変わる。鋭さに打ち抜かれそうになるけれど、どこかその瞳は悲しさも映しているようだった。目が離せないまま、彼女の言葉を待つ。

「もう、いいの。無理だから。……笹谷くんも、関わらなくていい」

 冷たい声が、廊下に響いた。

 それだけ言って彼女は僕の前を去る。追及する余裕もなかった。


 これ以上関わったって、どうにかなりそうなものでもない。いまさら彼女に話しかけようにも怪しまれそうなだけだし、委員会のことについて僕が意見すべきことなど何もなかったから。それでも、係の仕事で視聴覚室に行くと、嫌でもベルマークの山が目に入り、それが恨めしそうに呼んでいるような気すらしてきた。

 近づいて、何枚か拾い上げる。親指くらいの大きさをした紙の集まり。

 横には集計用紙や封筒などが置いてある。

 そしてその下に、なにやら大きめの冊子があった。

 カタログ。学校で使う事務用品や設備が一覧になっている。備品購入用だろう。それ自体は普通だったけれど、なにか紙が挟まっていた。

 ベルマークに関する書類だ。前に僕が調べた内容と同じようなものが書いてある。目を通して、得心がいった。ベルマークを一定数集めると学校の設備と交換することができる。このカタログはその商品の一覧だ。

 交換できる品数は沢山ある。協賛する会社がいくつもあるからだろう。跳び箱からピアノ、事務用品に消耗品まで。値段も幅広い。

 紙が挟んであったページにを眺める。

「……ん?」

 どうしてこれに丸がついているのだろう。

 連鎖するように、過去の出来事を思い出す。彼女の言葉。


  ――噂たてられるのは嫌だし。

  ――別に、手伝ってもいいよ。今度から。

  ――自分で立ち上がって、やったんだって示すの。

  ――もう、いいの。無理だから。


 漁る。集計用紙。残っているベルマーク。調べる場所は多くない。そこには思ったとおりの途中経過があった。

 考えてみれば、彼女はその目的に向かって進んでいた。僕がそれに気がつかなかったという以上に、彼女はそれを深く隠していたのだ。感情の起伏も読み取れないほど。

 だけど彼女は、やめることを選んだ。廊下で声をかけたとき、彼女は感情をむき出しにしていた。それはなにか琴線に触れたからに違いない。

 僕は全てを元通りにしてから視聴覚室を出る。

 

 教室。彼女の傍に他の女の子がいるのも構わず、僕は話しかけに行く。

 訝しげな顔で、席に座る彼女は見上げてきた。

「……なに」

「話があって。少し時間いいかな」

 僕が何を話そうとしているかは分かったのだろう。彼女はいらだつように髪をかき上げる。

「委員会の話でしょ。もう終わったことだから」

「終わったことなら、最後に話くらいさせてくれ」

 少し強めに言う。傍の女の子たちがひそひそと話している。

 いくらなんでも、彼女の仕事を誰も気づかないまま終わってしまうのはどうにも寂しく感じた。だから僕が彼女に伝えるしかない。いや、伝えたい。彼女がこのまま後悔したら、あのベルマークも、そのための仕事も、呪いの様に残るだろう。あれは元々、彼女の気持ちそのものだったろうから。


 休み時間とはいえ空き教室というのは意外とないもので、結局視聴覚室まで来てしまった。

 彼女は入り口のところでじっとしている。仕方なく、僕は話し出す。

「分かったんだ。どうしてベルマーク作業をやめたのか」

「……ふうん。なんだと思ったの?」

 彼女の冷たい声。無神経に喋って期限を悪くしたらどうしようとも思ったけど、話さないといけない。彼女にはそれが必要だ。

「足りなかったんだ。たぶん」

 端的に言うと、彼女の眉が反応した。たぶん、そういうことだったのだろう。

 僕は部屋の端に行き、カタログを持ち上げる。

「ポスター描く時に調べたんだ。ベルマークの交換は一ポイントにつき一円だって。それが学校の備品の値段になれば交換できる。ベルマークの仕事に関してやめるとしたらその点が引っかかったからしかない。『無理だから』っていう言葉は、そのポイントが足りなかったということだったんでしょ?」

 彼女がこの仕事でなにをしたかったか。それはポイントを貯め、なんらかの備品と交換したかったに決まっている。でもそれは学校のもので、私物化することはできない。なら、彼女が交換したかったものは一体何なのか。

 カタログに印がついているページ。

 サッカーゴール。二十万円。

 彼女は何も言わず、僕のほうを見ている。

 僕はしばらく前の出来事を思い出す。サッカーで遊ぶ僕たちのことをじっと見ていた彼女。ゴールネットの古さを嘆く僕たち。


  ――ゴール、あれ新しくなったらいいって思わない?

  ――新しくなったら、みんなうれしい?


 彼女はそれを考えたんじゃないだろうか。多くの人が喜ぶであろう学校備品の新調。なぜサッカーゴールを選んだのかは分からない。もしかしたら僕との会話がきっかけになったのかもしれないけど、それはさすがに自惚れだろう。

 だけど、それは無理だった。

 二十万円はやはり高い。学校側が対応しないのもそれが理由に違いない。全く使えなくなったわけではないから、すぐ買い替えたりはしない。ネットだけ交換できるかどうかは知らないけど、ポールだってもうぼろぼろだからあまり意味はないだろう。

 今集まっているベルマーク。集計用紙を見るまでもなく、二十万ポイントははるかに遠い。一枚で数ポイントのベルマークもあるらしいけれど、それは高額な商品にしかついておらず、とても希少。集められるものではない。

 彼女はため息をつく。

「わかったんでしょ。だからもう、笹谷くんに言うことなんてない。二十万なんて、いつまでたってもたまらないから。これくらいの仕事じゃ、それくらいのこともできないんだって」

 部屋の端、ベルマークの山。きれいに集計されたそれらは彼女の仕事なのに、それを一瞥する。

「そう思ったら、とたんに嫌になった。今から卒業までにベルマーク集めや宣伝を頑張っても、たぶん無駄」

「……ムダじゃないよ」

 僕は思わず言っていた。

「少なくとも、やってきた仕事はムダじゃないよ。今までやってきたことと届かないことはは一緒じゃないから。見ていたから、今まで。僕が証明する」

 そう。例え誰にも見られないこんな図書館の端だろうと、僕は彼女を見つけた。彼女がその仕事を頑張っていることを見ていた。それ自体はまったく無駄じゃない。

 たぶんここで彼女がそれらを無駄と切り捨ててしまったら、彼女はそれを後悔する。そしてそれは、「僕が彼女を手伝いきれなかったことへの後悔」とは関係がない。だから例えおせっかいでも、彼女に伝えないといけない。

 彼女の仕事は、誰にも見られない、悲しく無駄なことだなんて、そんなことは絶対にないんだって。

 僕は努めて明るく、彼女へ声を向ける。

「もしいま集まらなくたって、これからはまだ分からないよ。いつか届く。例え僕らが卒業したって、いつか目標には届く。僕らのやることはその一部だろうから」

 もっと頑張れなんて僕は言わない。それでも、今まで彼女がやってきたことは、無駄じゃない。いつか届くだろうって、彼女にも思って欲しかった。

 もうだんだん何を伝えたかったか忘れるほどに、僕は色々喋った。途中から彼女はうつむきだして、それでも僕は話を止めなかった。

 いつまでも、僕と彼女は二人で、視聴覚室で。

 やがて彼女が顔を上げる。どこか晴れたような、苦笑い。

「……そうかもね」

 立てかけてあった三角定規が倒れて、視聴覚室に音を立てた。




    ○



 あれからかなりの時間が経った。

 校庭の端。そこには僕の目指すものがある。

 地元に戻ってきて、真っ先に見たかったもの。

 サッカーゴール。

 遠くから見て、もう分かったけれど、あえてそばに寄り、観察する。

 さびれたポール。ところどころ破れたネット。

 この古いままのサッカーゴールを見て、やはりと思うべきか、がっかりするべきか。感傷があの時の感情を持っていってしまったのか、気持ちはまだ穏やかなまま保っていられた。

 誰もいない校庭で、平然と立つ、古いゴール。もう少しこいつはここにいるだろうなと思う。


 息を一つついて、僕は校舎へ向かう。せっかくだし、思い出の小学校を見に行こう。そして併設図書館にも。卒業生だといえば、視聴覚室も見せてもらえるだろう。思い出の場所だって。

 ご来客は中央玄関から。壁の指示に従って、玄関の扉を押す。

 受付に話しかけようとしたところで、ふと横に目が行く。

 思わず声をあげそうになった。

 誰もいない玄関の壁、掲示板のところ。

 そこにはポスターが貼ってある。あの時のままで、それはそこに残っている。

 もちろん、ポスターには書いてあるのだ。これを誰がやったのか。

 環境委員会。

 僕らが残した一つの印が、そのままここに、残っていた。


               おわり



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