私の存在証明

  第二部 追憶とヒント



  義里カズ



     1


 初めて会ったその時から、日野井影子の言葉は黒曜石の刃みたいに鋭かった。

 初対面は、校舎横の自動販売機前だったと思う。いったい何が彼女の癇にさわったのか分からないが、多分ずっと隠し溜め込んでいたなにかが爆発したんじゃないだろうか。ただのクラスメイトであるはずの俺をみたことで。

 俺はそのとき、空になったジュースの紙パックを捨てるところだった。

「ちょっとまって」

 鉄琴のような声のした方を振り向くと、一人の女の子。

 先に目についたのはその眼光。飲み込まれそうになるというより、すべてをその視線で跳ね返してきたのではないか、そんな強さがあった。

 セーラー服、指差す手、なびく黒髪、色の薄い唇。

 俺は少しばかりまごついて、手を止めた。

「……なに?」

「それ、捨てるんでしょう」

「うん。駄目なのか。捨てる場所としては正しいはず」

 彼女のシンプルな上靴が音を立てて俺のほうに近づく。

「ねえ、君は、こう思っているんでしょう。このゴミを捨てても、誰かが運んで、処理して、自分の外に押しやってくれるって。そして、自分の出すゴミが地球を壊すことから目を逸らしているの。みんな、みんなそう思っている。未来なんて、子孫なんて気にしていない。自分が八十年もすれば死ぬんだから。すべての責任から開放されてるんだから。もう一度言うわ。ゴミを捨てると同時に、自分の責任を捨てているの」

 流れるように飛び出す彼女の言葉が俺の耳を通る。

 怒られているのはわかった。なぜ怒られているのかはわからなかったけれど。

「なら、どうすればいいんだ」

 髪をかきあげ、彼女は言う。

「責任を捨てないこと。『自分が、自分のために、自分のせいで、このゴミを捨てたんだ』って思うこと。誰かに押し付けちゃ駄目なの」

 俺は右手の紙パックを見て、綺麗に潰した。

「……分かった」

 ゴミ箱に放り込んでから彼女のほうを見返す。

 ふっと口元で笑ったその子は、俺に名乗った。

「日野井影子。ねえ、君、面白いね」



     2


 待ってくれといっても、影子は聞いてくれなかった。

 一時間ほど歩いているが、目的地に着く気配すらしない。坂道を登る準備などしていなかった俺は息が続かなくなっているが、彼女は足を止めなかった。

 高地に乗っかっているような丘。俺らの高校からは十キロメートルほど離れている。確かこっちは地元の大学が近いのではなかっただろうか。あと、小学生の時に遠足でこの辺りに来たような気がする。

 針葉樹の間を縫うような細いアスファルトの道路を抜け、丘を中心とした公園のような場所に入った。芝生のような地面と所々に植えられた桜の木。遊具も店も人気もなかったが、時間のゆっくり流れるいい場所だと思った。

 前を歩く影子。薄ピンク色の重ね着Tシャツと細いパンツ、手首には黒のリストバンド。いつもと変わらず飄々とした不機嫌を見にまとい、こちらを見ずに進む。

 耐え切れなくなって、左手を掴んだ。

「なに」

 すばやく手をほどかれる。それでも足を止め、振り返ってくれた。

「疲れた。ちょっと待ってくれ」

「だらしがないのね、錬一。『デートしよう』なんて言い出したのはどちら様だったかしら」

 言ったのは俺だ。それでもこんな遠い場所にこようと思ったわけではない。一応俺なりに計画を立てて、勇気を持って誘ったはずだった。

 知り合ってから半年。高校での付き合いも進み、ちょっとばかり洒落っ気を出して影子を遊びに誘ってみたのだ。ところが、彼女は「連れて行きたいところがある」といって、俺をここまで引っ張ってきた。

 彼女は指を、丘の頂上に向ける。

「もうすぐだから、目的地。休めるし」

 それはありがたい。とにかくここまで来た以上、ついて行くしかないのだ。

 桜の季節は終わったところで、緑の葉が生い茂り始めている。時刻は昼過ぎ。花びらは絨毯となって地面を華やかにしていた。

 なんとか登り切ったところに、展望台があった。

 バスの停留所くらいの、円柱状のコンクリートの塊。鉄製の階段がまわるように付いていて、屋上となる二階には柵。

 影子が呟く。

「一回には休憩室がある。水道もコンセントも通っているし、寝れるベンチもある。ここなら野宿も大丈夫」

「……え、今日泊まる気なのか?」

 思わず聞き返した俺を彼女は笑う。さすがにそれはなかったか。

 階段をのぼり、展望スペースへ。思わずため息が漏れた。

 三百六十度のパノラマ、とは陳腐な表現だけれど、本当にその表現が的確な場所だった。丘から見下ろす森と道路。足元には花びらの絨毯。遠くには山脈。背中のほうには広い池といくつかの店が見えた。

 こんなところがあったのか。遠いとはいえ地元の範囲内だが、近くにある観光地のほうばかり目が行って、ここまで来たことはなかった。

「ここが、連れてきたかった場所?」

 彼女が頷く。

「私、死ぬならここがいい。誰かが私を忘れても、私はこの場所を忘れない。その事実だけで、なにかが形になっているような気がするから」

 死ぬなら。影子はいつもそのような表現を使う。癖というより、そのことばかり考えているような口ぶり。俺だって死について思考をめぐらすことはあるけれど、彼女ほど口に出すようなことはなかった。

 俺は柵に手を着いて、飽きない景色を見つめる。

「いい場所だな」

 何気なく放ったその言葉を褒めるように、俺の手に彼女が右手を重ねてきた。出会ってから初めての経験。

 握り返すと、今度は拒否されなかった。長い歩きからやっと落ち着いた。

「捕まえるのは俺の仕事か」

 軽口を叩くと、影子は軽く笑った。

 彼女の手は細く、暖かい。

 死ぬなら、か。

 まだ生きていることを確かめるように、俺たちは手を合わせ続けていた。



     3


 酔ってお世話になるというのは悪いと思ったが、影子の部屋にいけるのなら悪くないだろうと思った。

 大学に入って数ヶ月。未だに新入生歓迎の飲み会は続き、とうとう俺もその勧誘から逃れられなかった。一度顔を出せば十分だと思ったが、存外に新入生への酒の勧めが激しく、頭がぐらぐらしたまま外へ出た。

 さすがにこれでは自分の部屋まで戻れる気はせず、居酒屋から近い影子のアパートで休ませて貰おうと思い、連絡を取った。

 あきれられるだろうと思ったが、むしろ心配された。泥酔一歩手前だから当然といえば当然ではある。

 わざわざ表の通りまで迎えにきた影子は、眉間にしわを寄せてにじり寄ってきた。

「酒の匂いがひどいわ」

「……悪い……」

 視界がぼやけたまま、肩を借りてアパートに入る。ドアの前で躓いた。影子がごくたまに履く綺麗なローファー一足が端にある玄関スペースに、彼女のスニーカーと俺の革靴が追加される。綺麗に片付いている部屋は相変わらずだったが、ぐらぐらする頭には何も入ってこなかった。

「重いわ。ベッド使っていいから。水持ってくる」

 悪い、とまた言おうとしたが、今度は声が出なかった。ついに意識が薄くなり始める。

 うつぶせのままいると、横に影子の気配がした。水を飲むどころか首を曲げるのもつらい。

 珍しく気遣ってくれたのか、肩に手の感触。

「動けない? 眠いなら寝てもいい。気分悪いなら言って」



→ 第三部 未来


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