蠍の覚悟



 義里カズ



 無表情で笹に飾りを付ける彼女。

 ぼくはそれを、ただ見つめていることしかできない。

 廊下には僕たち二人だけ。今にも雨の降りそうな曇り模様が、寄木模様の床をぼやかしている。

「これなら目立たないでしょ、ね?」紀都ちゃんが体をひねる。

 指さす先、ひときわ小さい短冊。笹の葉と折り紙の飾りに隠れ、よほど気になってめくらなければそこにかかれたものを見ることはできない。

「うん」ぼくは頷く。

 紀都ちゃんに言われたとおり、頷くのは得意だ。

 彼女は手を下ろし、制服についたゴミを払う。笹とも紙とも分からない細かなそれらが床に落ちていく。

「それで、さ。分かった? この願い」

 その質問にも反射的に頷く。そうすると、彼女が口角を上げた。

 やっと笑顔を見せてくれたのは嬉しい。けど、ぼくはまだ、嘘をついてる。

 だって、分からないんだから。彼女が短冊にかいた、あの願いの意味なんて。


     #####


 紀都ちゃんに話しかけられたのはおとといのこと。

 一年生のころまでは通学路が大体同じで一緒に帰っていた。けど、彼女が転部し自転車通学許可をもらってからは会うこともなくなっていた。本当に久しぶりだった。

「護摩ちゃん、手伝ってほしいことあんだけど、いい?」

「う、うん」

 情報室。デスクトップがずらりと四十台並ぶ白い部屋の窓際、一人で陣取っていたぼくの前に猫のようなスムーズさで入ってきた彼女。

 す、と横に来るので、隣の席の椅子を引いてあげる。彼女の頬の色が、一年前より薄くなっているように見えた。

「パソコン得意でしょ」

「うん」

「これを調べてもらいたいんだ」

「……うん」

 ブラウザを起動すると、横で紀都ちゃんが笑い声を上げる。「いつもどおりだね、その返事は。護摩ちゃんは返事が得意」

 そう言われたのも久しぶりだ。去年くらいの時は、反射的に頷く癖をしょっちゅう注意されてたことだけど。

 紀都ちゃんの指示に従い、画像検索をかける。妙なタッチの絵が画面に並ぶ。

 彼女が流れるように画面へ顔を近づける。ぼくはというと、シンプルなヘアピンを見ていた。

 ひょいと彼女が一枚の絵を指す。

「これおっきくできる?」

「うん」

 しばらくそうやって、何枚か絵をピックアップしては紀都ちゃんが考え込む、という流れを続けていた。

「……やっぱりこれかな。ちょっと映したままにして。模写するから」彼女が手提げバッグから取り出したのは紙と鉛筆。3Bの黒鉛筆なんて久しぶりに見た。

「印刷すれば?」

 ぼくの控えめな提案に、目を丸くする紀都ちゃん。

「できるんだ?」

「うん。それっぽい画像何枚か並べるのもできる」

「お願い」

 これくらいなら、まあ。模写ってことはモチーフみたいなものだし、個人でちょっと使うくらいなら問題ないだろう。

 やがて画像の集合体が印刷機から出てくる。紀都ちゃんはそのA4の紙を大事そうに仕舞った。


     #####


「一緒に帰ってみませんか」

 リズムに乗せて、紀都ちゃんが耳元で囁く。毎度ながら、ぼくは否定の選択肢を持てない。

 昇降口で待つ。やがて自転車を押した彼女が現れ、ぼくを一瞥すると校門に向かった。

 慌てて付いていく。六時間目からにわか雨が降り始めていたものの、今は止んでいて、水たまりしか残っていない。

 紀都ちゃんは前を向き、いつもと変わらぬリズムで歩く。

「情報部はこれくらいの時間に帰ってもいいんだ?」

「うん……」ぼくは鼻をこする。「週に二回集まるのは決まってるんだけど、あとは自由。先生もいないし」

「いいね。そのうち転部しよっかな」

「スキー部は?」

 訊くと、紀都ちゃんはほんの少しだけ舌を出した。

「自主筋トレくらい。今はオフシーズンだから。自由といえば、自由」

 彼女が転部したのは一年の冬。それまでは美術部だったはずだけど、それこそ彼女の決心は急だったので、その理由をぼくは聞いていない。

 住宅街を通り過ぎ、広い道路に出る。二車線の道路と広すぎる歩道。トラックのエンジン音がひときわ大きく響く。

 カーブに差し掛かったあたりで、紀都ちゃんが顔を上げる。

 斜め前、指さした先は、空だった。

「虹?」

「あ、ほんとだ」

 よくみるとぼんやりとしたアーチがかかっている。カラフルさというより、白い綿に薄い色水が染みこんだような淡さ。

「久々に見たかも」紀都ちゃんの声が弾みつつも、歩みは止めない。

 やがて虹はどこにあったのかも分からなくなった。ぼくはそのまま空を探しつつ呟く。

「虹って、太陽に背を向けると出るんだよね」

「へえ」

「太陽と水の粒と、視線がある角度を作った時だけできるんだって」

 それからひとしきり、虹についてのあれこれを喋ってみる。たいていは図鑑の受け売り。それでも紀都ちゃんは興味を持ってくれた。

「なら、石けんの膜にできる虹色とは仕組みが違うんだ? シャボン玉とか」

「うん」ぼくは記憶の力を総動員する。「虹が近いところに二つできるのとかも、特別な仕組みが関係しているらしいって」

「ふぅーん」

 やがて左手にはビニールハウスと畑が広がり、特有の緑の臭いが強くなる。雨上がりだからなおさら。

「護摩ちゃん、恋の予感は?」

「ん?」よく聞こえなかった。

「恋の予感。らぶ、らいく、ぷりふぁーとぅー」

 紀都ちゃんの平坦な声に苦笑いしかできない。三つ目合ってるか分かんないし。

「ないよ」

「そんなこと言ってー」棒読みのような口調は変わらないまま、紀都ちゃんはにやにやしている。「ま、わたしもないんだけど」

 返事ができなかった。動揺する僕に構わず、紀都ちゃんは続ける。

「『友達から』って言うと駄目ね。わたしとしてはすごい高評価なのに、すぐ男子は離れていっちゃう」

「……それはそうじゃない?」

「そうかな」

 本格的に考え込む紀都ちゃんの横髪が顔にかかり見えなくなった。

 言い方はよくないかもしれないけど、紀都ちゃんはいつもそうやって品定めしているんじゃないかということを考える。とりあえず『友達』として付き合って、彼女の眼鏡にかなった男だけが、そばにいられる。

 そしてぼくはどっちなんだろう。合格か、不合格か。

 たぶん保留。それがぼくも彼女も、居心地がいいから。

 紀都ちゃんは戯れに自転車のベルを鳴らす。僕たちしかいない農道に、安っぽい音が響く。

「美術部の時もそれで揉めちゃって。逃げろーって、別の部活に行ってみた」

「そうだったんだ……」

 美術部辞めた理由はそういう問題だったのか。こんな形で聞くとは思わなかった。

 畑を過ぎると、再び広い道路。そして、ぼくの家。

 ひょいっと紀都ちゃんが自転車に乗る。スカートが大きく揺れる。

「ありがと。久々に歩いて帰って楽しかった。……今日の話は秘密ね」

「うん」

 頷くものの、どれを秘密にしておけばいいのか分からなかった。画像検索のことだろうか。

 こっちに自転車が傾く。紀都ちゃんはぼくの方を向き、口角を横に広げる。赤紫の唇が横一文字。

「あともう一つ」

「なに?」

「護摩ちゃん。……もうちょっと、頑張りましょう」

 それだけ言って、走り出した。紀都ちゃんの家はもう少し進んだところの商店。黒い髪が風になびいてトラックの排気と混ざる。

 結局煙に巻かれた気がする。紀都ちゃんのもともとの性格、といえばそうかもしれない。


     #####


 まーた遊んでんのか。

 家のパソコン部屋に行こうとすると、兄貴に茶化される。特に興味もない。

 使っていない六畳の和室の隅に、白く光るパソコンラック。置くところがなくてこうなった。そのうち自分のものにできないか考えている。ノートに使用時間を記録しておくのが家族の決まりだったけど、結局ぼくしか使わなくなってそのルールは消えた。和室も物置と化し、段ボールやら姿見やらが置いてある。

 ブラウザを開き、今日の放課後と同じ単語を打ち込んで画像検索をかけた。

 紀都ちゃんにお願いされた二つの単語。

「さそり座」

「オリオン座」

 数時間前と同じように、星の並ぶ夜空やそこに描かれる想像図が並ぶ。フックみたいな形をしたさそり座と、砂時計みたいな形をしたオリオン座。図を見るたびに、昔の人の想像力を訝しがる。

 これを調べてもらいたいんだ、と彼女は言ってた。真剣に模写しようともしてたっけ。なぜだろう。

 そういえば。小学校の頃だったか、オリオンの話を聞いていた。

 神話かなにかだったと思う。オリオンはすごい人かなにかで、それを殺したのがサソリであり、星座になってもオリオンはサソリに追いかけられている、とか。

 うろ覚えだったので、テキスト検索もかけてみる。話の大筋は記憶と同じ。さそり座が空にあがる季節になるとオリオン座が怖がって沈む。ただ、ギリシャ神話ですらバリエーションがいくつかあるらしい。

 さそり座が夜空で暴れた時のために、いて座の矢がいつも狙っている、なんて話もあった。

 和室の戸が開き、兄が怒鳴る。夕飯だってよ、おい。

 紀都ちゃんがこれを調べている理由は結局分からない。美術部だったらイラストかなにかのモチーフというのがあるだろうけど、彼女は転部している。

 彼女が何をしたいのかなんて、聞いたことはなかった。今回だって同じ。

 結局今日は、道具として使われただけだったのだろうか。

 ぼくはパソコンの電源を落とす。兄が癇癪を起こす前に茶の間へ向かった。


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 そして二日後、情報室でネットサーフィンをしていると、紀都ちゃんがまた現れた。

 今日は珍しく手に橙色のクリアファイルを持っている。いつもはバッグひとつなのに。

「護摩ちゃん護摩ちゃん、お暇でーすか」

 節をつけて歌うようにぼくのことを呼び、フィギュアスケートのような滑らかさで彼女は横まで来る。紀都ちゃんが情報室を通ると、パソコンの群れもただの縁石になる。

 ぼくはさっきまで調べていたギリシャ神話に関するサイトを閉じ、紀都ちゃんに椅子をすすめる。

「暇、と言えば暇かも」部活中だけど、部活ってほど活動してない。「どしたの?」

「手伝ってほしくて。ちょっとだけ」

「……うん。いいよ」

 詳細を話さないのが紀都ちゃんで、詳細を聞かないのがぼく。いつもこんな流れだ。いつからかこうなって、おそらくこれからもこの性格は変わらない。

 連れていかれたのは、四階だった。音楽室とか、美術室とか、物理実験室のあるあたり。

 見覚えのないものがあった。

 笹だ。

 高さはぼくらの背より少し小さいくらい。廊下の手すりにビニールひもで固定されている。紙の輪でできた飾りやら短冊やらがついているのを見て、ぼくはやっと七月七日が近いことを思い出す。

 七夕の飾り。

 授業で用があるときくらいしか四階には来ないので、この笹の存在を知らなかった。去年もあったのだろうか。

 紀都ちゃんは冷たそうな指で笹の葉を触る。

「美術部、じまんの一品」

「あ、これ美術部で準備したんだ?」

「そ。でも、だれも短冊飾ってくれなくて、きらきらしてない」

 紀都ちゃんの言うきらきらはよく分からないけど、確かに飾りは少ない。すでに七夕が過ぎてしまったような姿。

 クリアファイルに手を入れながら、紀都ちゃんはちらとぼくを見る。

「護摩ちゃんも余裕があったら短冊書くように」

「うん」

 頷くものの、短冊に願いを込めるなんて行為を最後にやったのはいつのことなのかぼくは思い出せない。サンタクロースの幻想と同じように、いつかその行為は理性によって消されていた。

 彼女のクリアファイルからは短冊が二枚出てくる。薄緑と、薄紫。どちらも穴と細いワイヤーが繋がれている。

 書いてあるものを、紀都ちゃんは見せてきた。

 イラストだ。

 サソリと、オリオン。

 一緒に調べた画像からちょっとアレンジされた、紀都ちゃんらしい絵。前にも見たことがあるからタッチですぐ分かる。ただ、短冊の長方形にそれらが書かれているのはアンバランスな感じがした。紙幣に閉じ込められた偉人の寂しさがある。

「飾ろっと。誰も来ないように見張ってて」

 見張り。それがぼくの役目なのだろうか。それだけのために連れてこられたっておこりはしないけど、はたして必要なのか、とは聞きたくなる。

 無表情で笹に飾りを付ける彼女。

 ぼくはそれを、ただ見つめていることしかできない。

 廊下には僕たち二人だけ。今にも雨の降りそうな曇り模様が、寄木模様の床をぼやかしている。

「これなら目立たないでしょ、ね?」


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 家に戻ると、またぼくはPCをつける。ただ、やることはなかった。

 嘘をついてしまった後悔ばかりが口の中に広がっている。彼女の短冊にこめられた願い。分かったかと聞かれ、頷いてしまった。

 分からなかった。当たり前だ。短冊に絵を描く人すら初めて見たというのに、その真意など理解できない。

 適当に、サソリやオリオンで検索をかける。

 ぼんやりと想像してみた。これらの絵を描くことにどういう意図があるのか。

 例えば「それが欲しい」というのはどうだろう。子どもだったら、おもちゃが欲しくて、短冊にそれを描くというのは十分考えられる。その場合文字でも絵でもいい。欲しいものを描き、星に祈る。

 ……ない。ぼくは頭を振る。

 サソリを紀都ちゃんが飼い始めるなんてことがあったらぼくでもひっくり返るし、オリオンがペットショップで売っているとは思えない。

 なんなのだろう。さっぱりだった。

 ブラウザを閉じる。検索するとなんでも出てくるくせに。

 そういえば。

 前にも、紀都ちゃんがよく分からないことを言ってきた時があった。

 あれは中学の頃だっただろうか。


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 帰り道のことだった。

「護摩ちゃん、爪見せて!」

 あの頃はまだ顔に幼さが残っていた紀都ちゃん。突然、そんなことを言う。

「爪?」

「ただの爪じゃないよ。向かってきた人をがっとやっつけるような、そんなとがった爪」

「……なにそれ」

「持ってないの? 鷹みたいな、獲物を掴むための爪だよ」

 しばらく聞いて、その喩えが「能ある鷹は爪を隠す」だと知った。才能あるものはそれを見せびらかしなどしないという格言。

 そういった爪を持っているのか、と紀都ちゃんは聞いてきたのだ。

 爪。すなわち、なにか必殺技ということか。強者であるための。

 しばらく悩んだが、回答はこうなる。

「ないよ」

「……ないんだ」

「ないなあ。言うなれば世の中を渡るための武器ってことでしょ。別に持ってない。力もないし、足も速くないし、口喧嘩も下手だし」

 不満そうな紀都ちゃん。そんな顔はちょっと面白い。

「じゃあ、敵が来たらどうするの?」

「敵、って」ぼくは苦笑いする。「敵が来たら、まあ、降伏するしかないかな。才能ある人にはかなわないよ。何に関してもそうだけど。そのうち才能ってものに巡り合えたら別だけどね」

「……んー」

「そんなもんじゃないかな。武器を持っている人って、そんなに多くないと思うよ」

 ぼくの言葉が響いたのか、考え込む彼女。

「……そっか」

 ぼくの方を見る。その瞳はいつもより暗かった。


     #####


 パソコンに座ったまま、あの出来事を思い出す。

 あの時は、彼女の言いたいことがなんとなく分かった。なんらかの武器を持っているか、ということだ。

 かといって、今でもぼくの考えは変わらない。

 みんなが武器を持っているとは限らないのだ。才能でも、力でも、なんでも。突然聞かれてすぐ答えられるような武器なんて、そう簡単には持ち合わせていない。

 息を吐いて、パソコンの電源を落とす。

 後ろから頭をはたかれた。

「どけよ」

 肩に手。突然横に払われるようなその力に抗えず、ぼくは椅子ごと倒れこむ。痛みを感じながら見上げる。

 兄貴がいた。

 気づかなかったのも悪いが、ここまで短気になっているとは思わなかった。ここのところいつもだ。

「なにこれくらいで転んでんだよ。邪魔だって。たまには使わせろよ」

 言葉で追い打ちをかける兄貴。憎々しげな顔。

 ぼくは、合点した。

 ……その目だ。

 兄貴がぼくを見るその目。どこか墨のような闇の色が混じった瞳。

 その目こそ、紀都ちゃんがぼくに向ける目、そのものだ。

 中学の頃。そして最近。彼女はこうして、ぼくを見ていた。

 そうか。

 見下していたんだ。

 ぼくが取るに足らないから。関わってこないくせに話ばかりしてくるそんな存在が面倒くさいから、その目でぼくを見る。

 おそらく紀都ちゃんは、ずっとその目をしていたのだろう。ぼくが気付かなかっただけで。高校に入って、いろんな男子と付き合っても、その目は変わらなかったに違いない。だから紀都ちゃんは離れた。品定めとは、そういうことだ。

「分かったよ」

 彼女の願いは分かった。ぼくが今までしてこなかったことも分かった。

 兄の憎しみも、もうとっくに分かっている。

 もう、いい。

 ゆっくりと起き上がる。別にもう痛くはない。膝を払って、兄さんの前に立つ。

 こうするのも久しぶりだ。お互い関わらないようにしていたから。ぼくの行動に兄さんはまごつく。

「な、なんなんだよ」

 急に反撃してきたぼくをどう扱おうか迷っているようだった。

 昔もこうだったな。こうやって対峙して、「兄さん」って呼ぶたびに怒った。

 立つと、改めて背の高さの違いがよく分かる。

 ぼくの方が、十センチは高い。最近はぼくが対峙しないばかりだから意識しなかった、この差。

 兄さんがこの身長差に憤怒していることは分かっていた。いつも、背の高いぼくを馬鹿にし、暴力で抑え込み、「兄さん」と呼ぶのもやめさせた。そのうち家でもめったに話さなくなった。

 突如、衝動が生まれた。兄さんの頭に手を乗せたい、という。そんなことをしても意味がない。分かっているのに。

 何もしゃべらないぼくを前にして、兄さんの動揺はどんどん激しくなる。面白い。

「……おい、なんか言えよ」

 笑いそうになる。ぼくは何も言わない。何もしない。

 ふと、横の姿見に目が移る。兄さんと、それより大きいぼく。それらを見て、ぼくはもう、笑みを抑えきれない。

 ぼくの瞳には、墨の色が混じっていた。


     #####


 次の日。

 珍しくぼくが呼び止めたのに、紀都ちゃんはびっくりした様子も見せなかった。

「一緒に帰らないかと思って」

「……いいよ。ちょっと待ってて」

 この前と同じように、農道を歩く。

 ふと、当たり前だよな、と思った。最近一緒に帰らなかったぼくたち。その理由は簡単、ぼくが誘わなかったからだ。ただそれだけのことなのに、余計なことばかり考えていた。

 二人で歩くと、気分が落ち着く。改めて見ると、紀都ちゃんも背が大きい。今まであまり意識していなかったけど、こうして並んでいられるのはとても嬉しかった。

 今日は虹は出ていない。ひたすら明るい灰色の雲が広がっている。そのうち道路の色と一体化して、境界線も分からなくなりそうだった。

「短冊のこと、なんだけど」

 そう切り出すと、彼女はぼくの方を見て、続きを促す。

 サソリとオリオン。

 簡単なことだった。サソリやオリオンが欲しかったわけじゃない。

 紀都ちゃんが、サソリやオリオンになりたかったんだ。

 おそらくいつも、それを望んていた。星座になっている今現在ですら何者かに殺されるかもしれない状況に置かれている彼ら。そんな風になりたかった。自分を殺してくれる存在を探していた。

 以前のぼくはそんなことできなかった。関わろうとしなかったから。彼女をただの憧れとしてしか見ていなかったから。

 高校で紀都ちゃんがいろんな男子と付き合った理由も分かる。それこそ品定めだ。

 そして皆、御眼鏡にかなわなかった。

 憧れじゃいけない。星座の彼女に追いつくためには、「見上げる人間」に甘んじてはいけない。自分も星座にならないと、彼女はぼくを見てくれない。

 長い時間をかけて、ぼくは口を開く。

「いつか、いつかだけど。間に合うか分からないけど。ぼくが紀都ちゃんを……」

「ん」さえぎるように声を上げる彼女。笑顔だった。「それ以上言わなくていい。分かってくれたら」

 伝わったらしい。不思議だった。

 そういえば、今日は返事をしていない。いつもは注意されていたのに。

 変わらないスピードで歩くぼくら。家はまだ遠い。

 紀都ちゃんがこれだけ笑うのを久しぶりに見た。いつも我慢してたんじゃって思うくらいに。

「頑張りましたね」

 片言でそんなことを言うから、ぼくもつられて、笑ってしまう。



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