少女でなくなる境目はどこなの。
あたしたちにとってはその疑問を口にすることすらダサくって、教室ではそんなことをおくびにも出さずに過ごしていた。相手の本性は知っているのに、建前しか見えていないふりをして、それはまるで仮装パーティーのように。
家に帰って自分のベッドにもぐってから、考えちゃいけない悩みを自分の中でこねくり回す。あたしが昆虫なら話は楽。幼虫、蛹、そして成虫。立派な境目があるから。自分の成長を自分で認められるから。残念ながらそうじゃない。あたしは繭を作れないし、それを突き破ることもない。
だからあたしは願ってしまった。
ずっと少女だったらいいのに、なんて。
※
せんせい。質問。
「なに」
いつになったら魔法少女やめられるんですか、あたし。
問いには飽き飽きしていたんだろうけど、律儀に先生は答えてくれる。
「『卒業』するまで」
先生はふわりとした衣装を着込み箒の手入れを始める。その行動はいかにもベテランじみていて、それでもその幼げな姿はいかにも少女だった。まるでネズミを捕まえるくせに獲物を遊ぶためにしか使わない子猫のようないでたち。
あたしも、子供の頃からずっとああだったんだろうか、と思う。そして、あんな状態に憧れていたのだろうか。少女に対する羨望なんて二十五光年の彼方に投げ捨てた今のあたしにとっては、昔の考えなんて思い出せなかった。
自分のロッカーを開ける。フックからマントを下ろす。ロッカーの奥につけてある鏡があたしの顔を映し出した。
どこまでも少女だ。憎憎しいほど。
つい、鏡の自分に語りかけたくなる。
――ねえ、あんた何歳だか分かっている?
あたしはどこまでも少女。でもこれは、本物じゃない。姿だけ。
これじゃまるで二番目のシンデレラを気取った農民の娘だ。惚れられてもいないのに王子様なんて来るわけない。
ま、それに気づくのに、ここまでかかったんだけど。
※
最初の頃、あたしは思っていた。
少女の条件を持った子しか、魔法少女になれないんだろうって。
先生に言わせればそれは『逆』。あたしは訊き返す。逆ってなんですか。
「魔法少女であるうちは、ずっと少女でいられる」
へえ。
今思えばそれも魔法少女勧誘におけるセールストークの一部だったのだろうけど、あの時のあたしはどうしてもその言葉にひきつけられた。
魔法少女になれば、ずっと少女でいられる。それこそ『魔法』のように。
それはいい、それはいい。
反応ががらりと変わったあたしをみて、先生の勧誘の勢いがすかさず強まる。
「なら、魔法少女になってくれるわね」
いえいえ、勘違いしないでください、先生。魔法少女の義務と権利には興味ないんです。ただあたしが欲しいのは、『区切り』なんです。
「区切り?」
分からないなら結構ですけど。
結局その後、あたしは契約した。当たり前だけど、契約書なんてなかった。もしあったとしても約款も説明書も読まずに捨てる派だからあたしにとっては問題ない。そう思っていた。
本当は読むべきだった。もしくは訊くべきだったのだ。
解除できない契約だなんて。そんな詐欺なんて聞いたことない。
『境目』を欲して魔法少女になったのに。実際は魔法を使えるだけの少女の身体しか得られなかった。
ねえ先生。クーリングオフ効く?
少女のふりした身体なんて、すぐに返してあげるから。
※
ある日。寮で秘密の計画を立てていると、先生が部屋に来た。
「お話しましょう」
ノートを閉じて向き直ると、先生は勝手にベッドを占領している。
なんですか、急に。
「少しだけ、昔話をね。あなたが契約した時に言っていた『区切り』ってなんのことか、訊いていなかったから」
そのことか、とあたしはあきれる。先生の駄目なところはこれだ。察することができないのじゃなくて、察しようとしないところ。そこまで少女っぽいんだ、先生のくせに。
あたしは向き直って昆虫の変態の話から始めた。ほとんどの昆虫は身体の成長に区切りがあるんです。精神も身体も、しっかり子供と大人を分けている。そんな生き物なんです。
釈迦に説法なあたしの言葉に先生は怒るだろうと思ったけれどしっかり聞き手にまわっている。
「それで?」
そういう分け方って、人間はないじゃないですか。成人とか定年とか、自分たちが決めたルールだけしかない。だから大人っぽい子供もいるし、子供っぽい大人もいる。あたしは、それが嫌だったんで。
「それが魔法少女とどう関係するの?」
勧誘の時に言っていたじゃないですか。魔法少女であるうちは少女でいられる。それってすごいと思いません? れっきとした区分ですよ。魔法少女であるうちは少女。それをやめたら少女じゃなくなる。アゲハチョウも吃驚の大変身。あたしはそれを、得たかったんです。
「……つまり、こういうこと? あなたは、少女である理由、そして少女をやめたと確信できる理由が欲しかった。だから魔法少女になって、『少女を名乗る権利』と『少女をやめる権利』を得ようとした」
満点です、先生。ぶっちゃければ、魔法能力も、終身契約もいらなかった。欲しいのは肩書きだったんですよ。契約を知らないばっかりに、少女をやめられなくなっちゃった。あはは、笑えますよね。あはははは。
先生は笑わない。あたしの少女っぽい笑いに、釣られることは絶対ない。
「あの時、あなたを勧誘して、押し切ってしまったことに、実はほんの少しだけ後悔していたの。少なくとも私が親身になって説明するべきだった。魔法少女契約と保険契約は一生事だし。だから、謝ろうと思って」
あたしは笑いながら、眉間にしわを寄せる。立ち上がってこぶしを先生に向ける。声を低くする。あくまで笑いながら、ぶちまける。
先生。謝ったら駄目ですよ! もう遅いんです。終身契約なんです。魔法少女であることはやめられないんです。先生は言葉だけで、なんにも分かってない。一生ごとなんですよ!
「いいえ、分かっているわよ。私が何歳だか知っているでしょう」
ええ当然。北寮の先生といえば八十歳の最高齢で有名ですからね。
精一杯の嫌味をぶつけると、ひらりと返される。
「まだ七十九よ」
そこ、こだわるところなんですか。
思わず二人で笑う。まるで少女のような嬌声が、部屋に、寮に、森に響く。
先生がいなくなってから、あたしはまたノートを開く。絶対見返してやる。もう理論はできているから。あたしの最後の魔法を、みんなに見せてやる。
※
魔法陣は書いた。マントも帽子もスカートも完璧。箒も準備。材料もしっかり揃えた。理論は頭に入れた。魔力もメーターで確認した。万全の状態なら一〇分で終わるはず。
ここは、夜の森。
「あなた、まさか」
観客も揃った。多くの仲間たち、または亡霊のような少女たち、そしてその頂点にいる先生。
さあさあご覧ください、あたしの最後の魔法でござい。
大声を上げて、両手を広げる。魔法陣が反応をみせる。
契約の時に、先生は言っていた。魔法があれば何でもできる。ならば『魔法少女をやめる』こともできる、はず。
材料はあたしの身体。魔方陣の真ん中で、理論通りの魔法を発動する。
――ああ、真面目に魔法をやったのなんて、初めてかもしれない!
そして、これが最後になるのだろう。
あたしの能力で、あたしの能力を消してやる!
先生が駆け寄ってくるのが見えるけれど、魔法陣の中には入れない。途中で止めたらどうなるか分からないから。その聡明さが、いかにも最高齢らしい。
ねえ、先生。心の中で語りかける。
あんたは少女の演技は楽しいですか? 繭の中にもぐるのは居心地がいいですか?
少女って、身体だけだと思っていたんでしょう。若さこそが少女の全て、そんな考えだったんでしょう。昔のあたしもそうでした。でもね、あたしは、あんたが少女には見えない。頭のいい、面倒見のいい、人の話しを聞く、昔を反省する、機微に飛んだ回答をする、他人を思いやる、そんな存在を、なんて言うか知っています?
大人ですよ。
あんたもあたしも、大人です。
やがて、身体の変化を感じる。熱が身体を包むのを感覚する。やっと魔法少女をやめられる。成長できる。確信した。
先生の方を見ると、もう動いていなかった。ただ、彼女の口が動く。
「無駄よ」
負け惜しみだろう。先生は邪魔できないはず。結界の魔法も張っている。いまから解析しても停止の魔法は唱えられない。
ねえ。
なのに、どうして。
魔法が、遅くなっているの?
熱が引いていく。咲きそうなつぼみが、寒さにその動きを止めるように。
魔法はまだ続いている。誰にも邪魔されていない。それでも、遅延が止まらない。
やがて、その理由に思い当たった。
能力で、能力を消す。
あたしが魔法を完了させるまで、魔力がずっと必要だ。でも、完了途中に、あたしは魔法少女でなくなり続ける。魔法を徐々に使えなくなる。
万全の状態なら一〇分で終わる魔法。でも、身体が徐々に魔法少女でなくなったら。
十分が二十分に。
二分の一になった魔法能力が二分の一しか発揮されない。
二十分が四十分に。
四十分が八十分に。
あたしは魔法陣の中で、確信した。
――ああ、無理なんだ。
あたしには考えが足りない。魔法を捨てるために魔法しかその武器を持たないから。その致命的な矛盾に気づけなかったから。
暑さから逃れるために走っても、その運動のせいで身体は温まり続ける。いつまでも身体は冷えない。足をとめたら、太陽に焼き尽くされる。
なんだ。終身契約も伊達じゃないんだ。
やがてあたしの魔力は切れだして、魔法陣が反応しなくなる。魔法が切れ始めると、あたしは大人から少女に戻りだす。
絶望が、あたしを、森の地面に引き倒す。大の字のまま、動く気力も湧かない。
空は漆黒。新月を選んでも、これじゃ意味がない。あたしの顔を先生が覗き込んでくる。
魔法は終わった。
先生は、この結果を知っていたんですね。
「ええ。だから無駄だって言ったの」
あらかじめ忠告してくれても良かったじゃないですか。
「まさかこんなことをやる子がいるとは思わなかったから。……私以外に」
はい?
首を上げるあたしに、聡明な先生は慈しみの顔を向けtる。
「あなた、私にそっくり」
※
あたしは区切りが欲しかった。
成長したって、誰かに認めて欲しかった。
魔法少女として頑張って、そしてそれから卒業すれば、大人になれると思っていた。
違うよね。
区切りは、自分で作るものだった。
それこそ成年のように、定年のように。それこそ幼虫と成虫の区分のように。自分で定めて、自分で認めないといけなかった。
そういう意味で、あたしは幼かった。それを理解していなかったから。
先生も同じ。あんなに大人なのに、それをまだ自覚していない。大人であることを認めない。
そんなあたしたちに、卒業証書は、発行されない。
※
「こんばんは」
次の日、ロッカーで先生があたしに声をかける。こんばんは。
「これから、どうするの」
先生のその質問は、あたしだけでなく自分自身に向けたものでもあったのだろう。魔法少女という概念に囚われた自分自身をどうするのか。そして先生はそれから眼を背け続けている。七十九歳は伊達じゃない。
一応、挑戦はしたのだろう。あたしのように。そして、あきらめた。
あたしは帽子をかぶり、静かに宣言する。
「あきらめませんよ、あたしは」
※
魔法少女が減り始めたのは、その後のこと。
何者かが何らかの魔法で、幾人もの魔法少女を普通の人間に戻している。そんな噂が森に広がっていた。
その魔法は、魔方陣と万全の魔力、そして魔法少女の身体が必要で、早ければ十分で終わる。
普通ならそれは不可能なはずだった。でも、視点を変えれば、簡単なことだった。
もし能力を捨てたければ、だれかに、その終わりの魔法をかけてもらえばいい。
――だから、あたしが、魔法をかけることにした。
同じようにやめたがっている子を探して。始めた時のように勧誘して。そして魔法をかける。
あたしが、彼女たちに、卒業証書を発行し続ける。
これがあたしの聡明な選択。大人な魔法の使い方。
こんな行為は決して、許してはもらえないだろう。
いつか追っ手があたしの下に来て、魔法を剥奪するだろう。
あたしから能力を奪うだろう。
しかしそれこそ、あたしの望み。
それはおくびにも出さず、あたしは魔法を使い続ける。
ねえ、お願いです。待ってますから。
だれか、あたしに、区切りを付けてください。
おわり
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