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気の済むまで



 義里カズ


 夏の深夜における肌寒さは、ひとりぼっちの留守番に似ていた。寂しさが、足元から迫ってくるから。

 歩き続けて数時間、田園に差し掛かると当然明かりは少なくなった。道路がどんどん狭くなり、車が来るたびに僕たちは端に寄って立ち止まる。頼りのライトはそれらの車と五十メートルごとの街灯だけ。

 会話も消えてしまいそうで、とりあえず訊く様に呟く。

「いま、何時かな」

 隣で下を向いたまま歩く未柚《みゆ》が、面倒くさそうに左腕を持ち上げる。

「腕時計見えない」

 それはそうだ。真っ暗なんだから。街灯の下まで行ったらまた聞こう。

 再び、ふたりで無言。農道はどこまでも真っ直ぐで、進むことだけを僕たちに強いるものの、それでも右手に聳える山脈と左手に広がる田んぼが僕たちをどことなく圧迫する。

 どうしてこんなことになったんだっけ。数時間前を思い出し、未柚のあどけない提案が再び耳に響いた。

 ――家出しよう、憲《のり》?

 それ以外に、きっかけはほとんど無かった。未柚の言葉に僕が従い、ふたりで家を出てきただけだ。置手紙も、行く当ても、目的も理由もおやつのバナナだってない。

 それから、数時間。

 歩いて歩いて、そろそろ足が痛くなってきた。未柚がくたびれたように見えるのも、疲れているからだろう。

 街灯が近づく。

「今何時?」

「……十時三十分」

 そんなものか。結構経ったと思っていたけれど。出発が夕飯時だったし、そんなものかもしれない。

 未柚がこちらを向く。

「ね、憲。疲れた?」

「まあね」

「どれくらい?」

 僕は二秒考える。

「今すぐ戻って、ベットに倒れこみたいくらい」

 背中からエンジン音がして、僕たちは再び道路の端に寄る。白い軽乗用車が近づき、なにもないように走り去る。僕たちはまた堂々と道路の中央を歩き出す。

「憲、あのね。人間は疲れている時って、話すことが正直になるんだって」

「ふうん」

「真面目に聞いてよ」

「うん」

 目線を前に向けてみる。向こうに見えるのは、さっきの車のブレーキランプと、隣町の光と、六分の一に欠けた月。あとは真っ暗。

 鈴を転がすような声。

「どうしてさ、憲はあたしに優しいの? 正直にどうぞ」

「やさしいってどういうこと」

 訊き返すと、彼女の声があきれたようなトーンに変わる。

「だからさ、今だってそうだよ。あたしのわがままに、何も言わずに付き合ってくれる。本当は憲も疲れているのに」

「わがままだったんだ」

「なんだと思ってたの?」

 甘えてくれたのかと思っていた。返答を飲み込み、代わりの言葉を探す。

「やさしくなんてないよ、僕は」

「じゃあ、どうして?」

 好きだから。また僕は返事を飲み込んで、その妄言を胃に仕舞い込む。おそらくこの気持ちは胃液も溶かせないだろう。再び僕の心にまわってくるに違いないのだ。

 しかし未柚も酷い。「正直」にならなければ、僕は本当の気持ちを話さないとでも思っているのか。それじゃいつものアピールも台無しだ。

 結局黙り込んで、代わりに訊く。

「未柚、じゃあ同じくらい正直に。どうしてこんな家出を計画したの?」

 質問に質問で返したのを咎めることもなく、彼女は言う。

「気が済みたかったから」

「……なんだって?」

 僕の反応が面白かったのか、くすりと笑う彼女。

「昔からさ、やってみたかったんだよね。何もかも振り切って家出するとか、行き先を決めないで旅に出るとか、ちょうど今の感じ。かといってあたしは本気で家出したいわけじゃないし、無断で旅に出たいわけでもない。たださ、このまま生活していたら、気が済まないじゃない。だから」

 一拍置いて。

「気が済むまで、歩いてみたかったの」

 なんとなく言いたいことが分かったので、僕は曖昧に相槌を打つ。

 やがて隣町が目の前に迫り、パチンコ屋のネオンが僕と未柚の体を照らす。未柚の寂しそうな横顔に鼓動が止まりかけ、僕は思わず呟く。

「じゃあ、僕も、気が済むまで付き合うよ」

 ああ、駄目だ。これでは気が済んだら僕たちの関係も終わりになるみたいだ。慌てて付け加える。

「気が済んでもそばにいるけど」

「……ふふっ」

 未柚が言質を取ったように笑うから、さすがの僕も気づく。告白みたいな告白。みっともなく取り消そうとしたけれど、彼女は遮る。

「やっと正直になったね、憲」

 はあ、まったく。

 やがて道路も二車線に戻り、信号とコンビニが見えてくる。何人かとすれ違う。道路が真っ直ぐから分かれ道へと変わる。

 これからどうするのか未柚に訊くと、なにか決心したように頷く。

「そうだね。そろそろ、終わりにしよっか、家出」

「なんだって?」

「帰ろう。あたし気が済んだし。家出が出来て、憲と沢山話せて、気持ちを聞けた。すごい満足」

 僕は慌てた。

「帰ろうって……この距離を? また数時間?」

 未柚がまた笑う。僕の反応はいちいち面白いらしい。そして彼女はポケットを探り、財布を取り出す。格好良さげに引っ張り出したのは一万円。

「タクシーってどう呼べばいいのかな」

 ……お金、持ってたのか。僕はあきれ返る。家出する気は本当になかったんだな。

 気が済むまで、か。未柚らしい。

 遠くのタクシーに大きく手を振る彼女を見ながら、僕は思う。

 今度は僕が、彼女に付き合ってもらおう。

 デートという名目で彼女を振り回してやろう。

 そう、気が済むまで。


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