アメジストの早計



 義里カズ


 

 

 それは、学校の近くにある観光施設でひっそりと売られている。

 誕生石。

 ちなみに観光施設といったって、国道から離れた街の端にあるその場所は観光客の姿が少ない。一通りの名産品と工芸品、野菜やパン、それらは地元の人が売り、地元の人が買うだけのもの。

 ちなみに俺らの定位置は横の食堂。放課後、部活が終わって帰るまでには体内のガソリンが足りなくて、本当は寄り道なんてだめなんだけど、先生の見回りがないのをいいことに、仲間たちはそこでラーメンやらカレーやらをかきこむ。もちろん夕飯は別腹。また、女子だってみんなジュースを買い込んでお喋りに夢中。バド部にとってそこはいい会合場所だった。

 そしてそこにいつもいたのが、奈々枝ちゃんだった。

 彼女は食事にもお喋りにも参加せず、若草色のエプロンをつけ、名産品の棚をぐるぐるとまわったり、レジ打ちの手伝いをしていた。

「母さんがここの提携者なんだよねー。こういうのは手伝いの一つ」

 そんな風に言って彼女は笑い、俺の分のスポーツドリンクをレジに通す。百四十円。俺は硬貨五枚を渡しながら、彼女の顔を盗み見る。ちょっと茶色がかった瞳はいつもどこかふわっとしていて、彼女の性格を表しているような気がした。とらえどころのない色。

 ここに来ると、大抵彼女はいる。俺らが放課後を謳歌している間、働いている。

「奈々枝ちゃん、手伝い、つらくないの?」

 そう声をかけると、彼女は頷く。

「つらくないよ。ほんの三時間だもん。いつか終わるから」

 その『いつか終わる』という言葉は、手伝いの時間なのか観光施設の寿命なのか、俺にはよく分からない。そのうちここは潰れる、という噂が俺たちの間で流行っているからだ。真偽は分からないが、観光客のこない観光施設なんて寂れるだけだというのは俺にだって分かる。

 周りに客はいない。彼女はレジを抜け、棚の商品の整理に戻る。

 仕事の邪魔をしたらまずい。俺は冷え冷えのペットボトルを持ち、自転車置き場へと向かう。

「井口君は誕生石持ってる?」

 そう、あの会話は七月。

 いつも通り放課後を食堂で過ごす仲間を尻目に、休憩中の奈々枝ちゃんと話をしていた。その時俺は少しばかり食欲がなくて食堂の面子に混じれず、炭酸ジュースをちびちび飲んでいたのだ。

 飲み終わったとたんに彼女がそんなことを聞くものだから、思わず鸚鵡返し。

「誕生石?」

 彼女はその長い黒髪を靡かせながら、店舗の隅を指差す。

「ほら、あそこに売ってるの。みたことない?」

 工芸品コーナーの端、市販品が置いてあるところ。子供のおもちゃ、よく分からないキャラクターのキーホルダー、歪な形の達磨。

 立ち上がり、二人で近づく。

 そこにある箱はスポンジで埋まっていた。十二に区切られ、それぞれに小さな指輪が差し込まれている。一月はガーネット、二月はアメジスト、といった具合に。プラスチック製のリングとそこについている蚤くらいの宝石たちがこちらを見上げている。

 誕生石リング。一〇〇〇円。

 正直売れなさそうだった。名産でもないし。

「男はこういうの買わねーよ」

「そうなの? 意外と集めそうな気がするけど」

「誕生石ってのも聞いたことしかないしな。血液型についてならいつも盛り上がるけど」

「ふふ、よくあるね」

 むしろこういうのを集めるのは女子のほうじゃないだろうか。指輪っていうのも中学男子にはちょっと敬遠したい。

 こっちを向いて、奈々枝ちゃんが訊いてくる。

「井口君、誕生月はいつ?」

「ん? ん……二月」

 口に出してから、しまったと思う。でもいまさらだった。

「ほんと? あたしも二月! 二月の二十七日」

 彼女は目を輝かせ、箱の説明文を指でなぞる。

「二月はアメジストなんだよね。この紫色の」

「……ふうん」

「綺麗じゃない? 透明感があって」

 俺は頭をかいて、箱を見下ろす。

「もっとかっこいいのあるんじゃん? ルビーとかサファイアとか、ダイヤとか。そっちのほうが」

 難癖つけた格好になってしまった。むっとさせてしまったのが分かる。

「格好良さじゃないよ! 宝石だもん。憧れだもん」

「……そっかそっか」

「流した! 男子には分からないのかー……あたしこれもう持ってるんだ。バッグに入ってるの」

 機嫌を悪くされるわけにはいかない。思わず俺はフォローにはいる。

「あー、透明感がある、ってのはいいかな。宝石ぽいっていうか。そういう意味ではワーストじゃない」

「なるほどね」

 彼女は頷く。

 と、そこで向こうから声がかかる。奈々枝、休憩終わりよ。

「はーい」

 彼女が返事をして、レジの方へ向かう。会話タイムも終わり。とりあえず俺も仲間の元に戻ろうとする。

 最後に彼女が振り返り、俺に向かって叫ぶ。

「こんどプレゼントするから! アメジスト!」

 しまった、という思いが、もう一度飛来した。

 バド部における俺の不調は、入部した時から決まっていたように思う。

 なぜかって、俺は五番目だったからだ。

 たいていバドミントンの団体は五人で一チーム。シングルス一人とダブルス二組。そういうわけで、バド部のスタメンといえばその五人のことを指す。

 俺の代の部員は八人。そこから飛びぬけて上手いのが四人。非スタメンは三人で彼らは補欠か個人戦のみの出場であることが多い。そしてちょうど真ん中にいるのが俺だった。

 スタメンでありながら、追い抜かれそうな位置。

 いつ落とされるか分からない。いつ追い抜かれるか分からない。

 たいていそのプレッシャーが胃にきて、食べ物が受け付けなくなる。

 そういうときは食堂に来ても、仲間と混じることすらつらくなって、外のベンチで座る。

 あれは秋だったか、同じように放課後のベンチで胃を休めていると、目の前で奈々枝ちゃんが一生懸命働いていた。

 観光施設は秋に忙しい。取り扱う農産物が比較的多くなるからだ。普通の野菜どころかキノコやアケビ、果てにはマムシなんてものまで置かれる。山が近い地元の人間はさっぱり驚かないが、観光客はそうでもないらしく、物珍しいように眺めていく。世界にはマムシもみたことのない人がいるのだ。まったく想像つかない。

 やっと休憩に入った奈々枝ちゃんが、息を整えながら俺の横に座る。

「やっぱり疲れるねー、お客さんが多いと」

「大変だな、この時期」

 俺は彼女のためにスポーツドリンクをもう一本買って渡す。

「ありがと。あとで払うね」

 彼女はそう言ってペットボトルを傾ける。

 俺は痛む腹を気づかれないように押さえながら、気になっていたことを訊いてみる。

「なあ、奈々枝ちゃん。働くの嫌じゃない?」

「働いているんじゃなくて、手伝いなんだけど」

「尚更だよ。仕事ってわけじゃないんだし、ただ毎日手伝うだけって、つらいんじゃねえの」

 学校生活だって暇なわけじゃない。賃金が発生するわけでもない手伝いにそれほど時間を割く気持ちはいまいち俺には分からなかったのだ。

 奈々枝ちゃんは笑う。

「井口君」

「なに」

「人生は長いんだよ」

 言われている意味が分からなくて閉口する。

 彼女は手元でペットボトルを弄びながら続けた。

「これからだって、死ぬまでにいろいろなことがある。やりたくないことだって一杯巡ってくるし、仕事だってやってくる。今あたしがやっている手伝いだって同じ。そういうことは毎年、毎月、毎日やってくるの。たぶんそういうことを考えないといけない」

「……それって、つらくないか」

「つらくても、つらくなくても、やりたくないことはやってくるよ」

 いまいち言っていることがわからないけれど、そういう連綿とした時間を考えると俺は空恐ろしくなった。胃の痛みがいっそう強くなる。

「なんか奈々枝ちゃんのその考え、こわくなってくるんだけど」

「でしょ! 学校にいるうちは分からないけどさ、例え十年二十年遊んだって、残りの時間はそうやった単調で平坦なものがまわってくるんだ。そう思うとさ……マイナスもプラスも、限りなく薄まるよね、って。それこそが人生ってことなんだろうね」

 それはそうだろう。でも。

「その話ってさ、死なない限りってことだろ。前提がついてるじゃん」

「ん?」

「人生が続くっていっても、死んだらそれまでってことだろ。天国があるかもしれないし幽霊になれるかもしれないけど、たぶん死んだら人生ってのは終わりだ。だからなんというか……」

 俺の言葉がそこで止まる。喋りすぎていると思ったし、話も逸れてきたし、この話に正解なんてない。

 雰囲気を変えるように、奈々枝ちゃんが立ち上がって口角をつり上げる。

「『続く』っていっても『終わる』っていっても、仕事が生活の全てを占めているわけじゃないよ。それが必要だとかそれに意味を見出すとか色々考えちゃうと、あたしは止まってしまうから、あんまり考えないようにしている。ただそれだけってこと」

「……そうか。じゃあ、俺が変なことを訊いたのが悪かったな」

 彼女が言っているのは意気込みのことなのかもしれない。俺たちが学校を出れば仕事というのが向こうからやってくる。連綿と、永遠と、続くように。今から仕事を始めていることにあえて疑問を挟んでいると、心が揺らいでしまうのだろう。

 やがて奈々枝ちゃんは店の手伝いに戻る。俺は空のペットボトルを上に投げる。三回転半して左手に戻ってくるそれは軽かった。

 彼女は本当に分かっているのだろうかと思う。続くことと終わることは表裏一体なのだ。仕事が始まるように、この学校生活は終わる。否応無く。

 冬。うかつな俺の罪が、罰となってやってきた。

「はい、これ。プレゼント!」

 笑みを浮かべつつ、ちょっと緊張した顔の奈々枝ちゃん。こげ茶色の瞳がこちらを向いている。

 場所は雪積もる窓を背にした体育館の二階。観客席となっているその端は基本的に誰もいない。

 忘れていたわけじゃなかったけど、まさか本気だとは思わなかったのだ。手が震えているのを気づかれないよう、俺は努めて動きを止める。

「これ……」

「前に言ってたでしょ。あげる! 男の子だって似合うと思うな。二月生まれなんだし」

 袋に入っているものは、見なくても分かる。誕生石だ。おそらくアメジスト。

 どうすればいいのだ。

 受け取ればいいのか。謝ればいいのか。

 俺の声はどうしてもぶれてしまう。

「えっと……」

 最初に会ったときより距離の近づいた彼女は、俺の挙動を目ざとく感じ、表情を不安へと変化させる。

「なに? なにか駄目なことあった? バレンタイン近いしチョコのほうがよかったとか」

「いや……そんなことはないけど」

「じゃあもらって! ほら!」

 押し付けられる紙袋を俺は右手で掴む。掴んでしまう。既に言うべきタイミングははるか後方へと過ぎ去ってしまった。

「……奈々枝ちゃんにもあげないといけないな。誕生日、二月、だろ」

「んー? お返しなんて気にしなくてもいいよ、着けてほしかったんだし。それにあたしはもう持っているから」

 そうなのか。

 もう何を言えばいいのかわからなくなって、ただ彼女のことを見つめていたら、何かに反応したのか彼女の耳が赤くなる。

「じゃ、じゃあ、そういうことだから!」

 そういい残し走り去る彼女。

 あの観光施設はそのうち無くなるらしい。冬になってから、俺たちの中ではそんな噂が持ち上がっていた。

 もともと儲かっていないし、国道沿いの店にお客が取られているのが大きいから、と。

 意外とそういうものなのかもしれない。

 冬は雪が多いので、俺らバド部もあの施設の食堂を利用することはほとんど無くなった。だからその噂の真相も分からないし、そこで手伝いを続ける奈々枝ちゃんがその噂を知っているのか、その問題についてどう思っているのかも知らない。

 質問するチャンスは前以上にある。彼女と話す機会は、前に比べればはるかに多い。でもこの距離の近さによって、訊く機会はもうなくなったように思う。観光施設が消えるなんて伝えたら彼女を傷つけるかもしれない、そんな考えが頭の片隅には残っていた。

 部活を終え帰宅すると同時に、俺はソファへ倒れこむ。

 胃が痛くてしょうがなかった。今までは、部活動での軋轢が起こった時くらいしか症状が出なかったのに、今日はどうしてもきりきりとした鈍痛が取れない。

 仰向けのままエナメルバックの紐を掴み引き寄せる。中からピンクの紙袋を取り出した。

 丁寧に貼られたシールを剥がし、中身を取り出す。

 奈々枝ちゃんからのプレゼント。

 誕生石リング。アメジスト。

 紫色のそれは意外と軽く、中に潜む重大さすら忘れさせてくれそうだった。どこかお守りのように見えてくる。蛍光灯の光を吸収するように鈍く輝いている。

 誕生日、か。

 耐え切れなくなって、胃が痛くなって、泣く意味すらないのに、涙が出てきた。どうしてあんな嘘をついてしまったんだろうか。

 ――井口君、誕生月はいつ?

 ――ん? ん……二月。

 訊かれた時、咄嗟に答えていた。奈々枝ちゃんと同じ誕生月を。同じ月だと答えれば話題が広がり、もう少しだけ距離が縮まるなんて考えてしまったのだ。

 嘘だ。俺の誕生日は二月じゃない。

 本当は四月の末。

 結果がこのプレゼントだ。彼女にお金を出させてまで跳ね返ってきた罰。

 このプレゼントを返したって何の意味もない。彼女の誕生日も二月だけど、確かすでにこれを持っていると言ってた。追加して買ったところでどうするというのだろう。

 胃の痛みが消えない。

 スタメンを外されたのはその後すぐだった。

 体調を崩してばかりの俺に代わり、補欠の友人が団体戦に出場する。コンディションだけでなく単純な実力差もあるだろう、と思う。技術の上達も低迷の一途を辿っていた。

 でも、落胆のあとに来たのは、安堵の気持ちだった。これで補欠陣から嫉妬の目線を受けることもない。不安定なところから落ちてしまえば、再び登る必要なんてないだろう。教師やコーチからのプレッシャーも少しは減る。

 でも、いいのか? 俺は本当にほっとしているのか?

 懸案事項が減ったはずなのに、胃痛は消えない。病院にも行ったけど病気の類ではないらしく、軽い薬は気休めの効果しかない。調子が悪いといえばそれまでだが、なんだか一人だけ沼底に取り残されたような意識だけがある。

 この痛みは、ずっと続くんだろうか。

 人生は長い。奈々枝ちゃんのあの言葉を思い出す。死なない限り死ねないのなら、この痛みも消えないんじゃないか、そんなことを考えてしまう。これ以降、ずっと腹を押さえて生きていくのだろうか、俺は。

 なんだかもう嫌になった。初めて、部活をサボった。

 ぼた雪が降る中、観光施設はまだ営業している。

 サボったのはいいけれど放課後をどう過ごしていいかわからず、かといって家に帰ったら親にバレてしまう。結局観光施設で時間をつぶそうと思ったのだ。

 奈々枝ちゃんがいたら後ろめたいが、幸いか姿が見えなかった。

 適当に販売所をうろつく。焼き芋があった。アイスの保冷庫を利用して、新聞紙に包まれたそれらがいくつも並んでいる。下にはヒーターが敷かれているらしい。

「あらあ? 井口くんじゃないの」

 振り返ると、奈々枝ちゃんのお母さんがいた。観光施設ロゴが付いたエプロン姿。そういえば働いているのだった。

「……ども」

「今日奈々枝は居ないからね。歯医者。まったく早めに行っておけって言ったのに」

 よくわからない愚痴をこぼされる。曖昧に頷いてから、俺は焼き芋を指さす。

「これ、売ってるんですか」

「そうそう、冬季限定。食べる? 二百円だけど」

「じゃあ一個」

 お願いすると、奈々枝ちゃんのお母さんは手際よく焼き芋をつかみ、新しい新聞紙でもう一度巻いた。そのままレジに持っていくのでついていく。

 胃の痛みが比較的いいから、なんとか食べれるだろう。財布を取り出す。

 レジを操作しながら、奈々枝ちゃんのお母さんは零す。

「奈々枝は一度思い込むと頑固っていうか、どうにも融通が利かなくてね。井口君もたまには遊びにでも付き合ってあげて」

「はい?」

「手伝いばかりしてるのよ。別に人手が必要じゃない時でも入ってくるし。たまには遊べばいいと思うんだけどそういうこともないからねえ。無理しているわけじゃないんだろうけど」

 そうだったのか。てっきりお母さんのほうから彼女にお願いしているのかと思っていたが。でも、意固地になっている彼女の姿も容易に想像できた。手伝いと遊びなら前者を選ぶのが奈々枝ちゃんだ。

 焼き芋を受け取って、ベンチで食べる。寒さ対策か、いつも外にあるベンチは建物の中に入れられていた。

 こうしてみると、観光施設が閉鎖することなどないように思える。客がいないわけじゃないし、商品はいつも新しい。それに、例え潰れようが潰れまいが、従業員たちは最後の日まで働き続けるだろう。

 彼女もそんな気持ちなのではないだろうか。彼女にとっては、観光施設の行く末なんて何の関係もない。

 焼き芋が手から消えるまでは長い時間がかかった。

 たぶん分かっていたんだ。俺自身が認めたくないだけで。

 レギュラーに入れるかどうかなんて関係ない。それよりもスポーツを楽しめているかどうかだけを追求すれば、もう少し楽になれただろう。頑張ることもできただろう。でも俺は、そんなに簡単に考えることなんてできなかった。あの居心地の悪さをずっと抱えて、いっそのこと辞めてしまいたいとまで思ったのに、俺はまだ、そこに踏み込むことができない。辞めてしまうのも、楽しむことだけを見据えるのも、怖い。

 胃痛はそこから来ていたのだろう。板挟みとなっていた痛み。

 立場なんて忘れて、関係なんて忘れて、自分のやりたいようにやれたら、それ以上のことなんてない。でも俺は、そんなスーパーマンになれない。

 だからたぶん、奈々枝ちゃんに惹かれた。あの時のレジの前で。

 奈々枝ちゃんの、立場とは関係なく行動できる姿が羨ましかったのだ。

 叫ぶところが見つからなくて、街を歩き続ける。

 住宅地、道路、橋。田舎だからといって、叫んで不審に思われない場所などない。

 観光施設と同じように、この街は寂れていくものだと思っていた。でもここに住む大半の人は寂れていくことに無関心で、なんだか俺の中では悲しかった。いつか俺も出て行くかもしれないこの街が、溶ける様に無くなっていく予感がしていたのだ。

 でも違う。街が寂れたって、幾人は住み続ける。誰もが街を出て行くわけじゃない。街の行く末に絶望することと街をあきらめることは一緒じゃないから。もちろん、みんながみんなそんな考えじゃないだろうし、状況は変わっていくだろう。でもなにか、そんな気はした。

 俺がいつか街に帰ってきたその時も、あの観光施設はあるような、そんな気持ち。

 ちょっとした丘までたどり着く。展望台代わりの公園には誰もいない。街の半分くらいを眺めることができる。声を出すには絶好の場所。

 俺の口から、叫び声は出なかった。風が背中から吹いて、気持ちが飛んでいった。

「ごめん! ほんとに、ごめん!」

 謝り方を丸一日考えたけど思いつかなくて、俺は突っ込むように頭を下げる。

 場所は観光施設。奈々枝ちゃんの休憩時間を見計らって、誰もいない隅に呼び出した。

 俺の誕生日が二月ではないこと。それなのにアメジストをもらったこと。今までずっと言い出せなかったこと。嘘をついていたこと。言わないといけないと思ったこと。プレゼント、嬉しかったこと。全部吐き出して、謝り続ける。

 頭にぽんと、手を置かれる。

 彼女の声が頭に降りてくる。

「……びっくりしちゃった。急に謝るんだもん。もうこういうの止めてくれって言われるのかと思った」

「い、いや」

「井口君が言いたかったことは大体伝わった。だから顔上げて。こういうの恥ずかしい」

 恐る恐る顔を上げると、彼女はむすっとしながらも口元が笑っていた。

「ね、井口君。私がここの手伝いしてるってこと忘れてない?」

 へ?

「交換するよ、誕生石。店員権限でなんとかなるはずだから。……まったく、そうなら早く言えばいいのに」

 あまりのあっけなさに、俺は唖然とする。沢山殴られても仕方ないとまで思っていたのに。

 じっと見つめる彼女は、怒っていなさそうだった。

「ねえ井口君、最近おかしかったのってそういうことだったの? 部活の調子も良くないみたいだったし」

 違うんだ、全部俺が悪かったんだ。そう言いたいんだけど、言ったらもっと心配をかけてしまいそうで、別のことを言う。

「……いや、ただ悩んでただけ。バドも、もう一回頑張ってみようと思ってる。自分ができるだけのことをやってみようって」

 うまく言えなかったけれど、奈々枝ちゃんは頷いてくれた。

 彼女はエプロンから右手を出し、要求してくる。

「ほら、あげたアメジスト頂戴! あと井口君のホントの誕生日は!」

「ご、ごめん……返すのも悪いと思って仕舞ってある……」

「あーもう! 早く持ってきて!」

「はい!」

 彼女の体育会系のノリが面白くて、冗談めいて返事をする。今から家に戻って取ってくれば日暮れまでには間に合うだろう。

 休憩時間も終わり、奈々枝ちゃんは店内へと戻っていく。こっそりその姿を眺めて、心の中で感謝する。

 今日の謝罪のように、この感謝の気持ちもいつか言葉にできればいいと思った。取り返しがつかなくなる前に。

 見送った後、俺は家に向かって走りだす。体の痛みがほんの少しだけ緩んだ気がした。

 

 

                        

 おわり

 

 


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