雪はまるで泥のよう




  ◆充宏 1/23 - 1

 そういうこと、だったのだろう。
 あの子の「決意」なんて、俺には知るよしもなかった。
 それでも、あの寒い二日間、考えた一つの予想は、少なくとも俺の中で何かを変えようとしていた。
 流されるように流され、逃げるように逃げていた俺に、突き刺さるような事実。
 話をしてみたい。もう一度だけ。
 あの子はなんて強いのだろうか、それを改めて知ることになるだろうけど。

  ◆充宏 1/21 - 1

 当日の朝が鬼門だと、担任教師が言っていた。俺は思い出す。
 出発前の特別授業中に鬼気迫る表情で大学受験の裏話をするその教師は、いかにも過去二浪したという自分自身を回想しているようだった。どうにも試験前の俺たちとっては圧力をかける上司のようにしか見えない。「緊張する必要はない」と言いながら「なにかを間違えただけで一年棒を振る」と注意するなんて、分かっていてやっているとしか思えない。
 ワゴン車の中。八時半。
 従兄が運転する横で、俺は朝飯のおにぎりを頬張る。なんとか出発予定時間には間に合ったものの、会場へたどり着けるかどうかは微妙な時間だった。
 窓の外は軽い吹雪。気温もかなり低く、試験中ですらコートを着るようになるかもしれない。試験中はOKだっただろうか。
「充宏、バッグの中にお茶入ってるから。水筒の」
「ん」
 鮭握りを飲み込み、後部座席のバッグを探る。緑色の水筒を開ける。落ち着いた香りがした。
 突然、身体がどこか浮いているような感覚にとらわれ、緊張を実感する。なにせ「失敗してはならない」と散々念を押された日なのだ。気持ちのほうが追い付いていない。
 実を言うと、送迎役を買って出たのは父だった。ただ急に早朝からの仕事が入り、従兄にピンチヒッターを頼んだ。俺としては公共交通機関でもよかったんだけど、悪天候で止まったら目も当てられないと注意された。外の雪をみればその予想は正解。
 土手を降り、街中に入ったところで小さな案内板を見つける。
「右だってさ」
「おう、右な」
 まだ会場には遠かったと思うけど、ところどころに案内板があって、その規模の大きさを示している気がした。「センター試験会場 右折後7km」。赤の矢印が目立つ。
 気持ちの高ぶりを抑えようと、俺は緑茶を口に運ぶ。

  ◇曾太郎 1/21 - 2

 理系は一日目が楽なんだって、ボクの先輩から教わった。
 五教科七科目、というやつだ。国公立大志望の基本科目。理系の場合、理科から二科目、地歴公民から一科目を選ぶ。
 一日目の午前は地歴公民の試験。二科目選ぶ文系の人は九時三十分から、一科目の人は十時四十分からとなる。そういうわけで、社会科目が少ないボクたち理系は朝に比較的ゆっくりできる。
 ただあまり意味はない、とボクは思っている。
 先生が決めた集合時間は九時頃だし、そこから十時過ぎまで休憩用の講義室にこもり最後の重要事項確認をすることになるのだ。ちなみに二日目午前の科目は理科であり、今度は立場が逆になる。理系は明日早く起きなければいけない。
 そんなわけで、ボクが入ったとき、文系の友達、充宏が先に試験室にいたのは全く当然のことだった。
「地理おつかれー」
「……曾太郎か」
 三棟の一階、だいたい二百人くらいは入れるであろう大きな講義室。黒板にはセンター試験の日程と注意事項が貼られ、細長い席の端と端に生徒が座っている。今は休憩時間なので空席が多い。今から理系の人も追加されるわけだから、ほとんどが埋まることになるだろう。
 充宏はボクの方を見て疲れたように手を振る。
「……気使うな、マークシート」
「模試で練習したから大丈夫でしょ」
「いや、受験番号とかいつもと違うし、記入ミスったら即駄目って言われるとプレッシャーすごいわ。曾太郎も気をつけたほういい」
 そう言って鉛筆を回す充宏。なるほど。学校の先輩にはマークシートの列が一つずれたことで五分前にすべて書き直すことになった人もいるらしいし、不安はどうしてもぬぐえないのだ。
 さて、ボクも自分の席についておかないといけない。休み時間は長めとはいえ、現代社会はぎりぎりまで復習しておくに越したことはないからだ。暖房の位置も気をつけたほうがいいだろう。
 見渡して席の位置を確認しながら、問う。
「龍一ってどこだっけ? 同じ部屋だよね」
 充宏は斜め後ろを向いて顎を動かす。
「あっち。ほら、参考書読んでる」
 向こうに目を凝らすと、黒縁眼鏡をかけた龍一の姿が目に入った。いつもは調子に乗って勉強などしないと豪語する彼も、今日明日はなりふりかまっていられないらしい。それはそうだ。
 ボクも準備しておくべきだろう。休憩室で鉛筆は確認したし、心配事はなにもないはず。
 あと。
 まだ決めていない進路のことを一瞬だけ考えて、頭から打ち消した。

  ◆充宏 1/21 - 3

 昼食休憩だからといって、息が抜けるわけでもない。それでも、見知った姿を見て俺は少し安心した。
 担任の教師のところに皆で集まる。出席確認を昼に行うのは、朝の集合時間が理系と文系で違うからだ。朝遅刻した人はどうするんだろうと思うけど、さすがに今回そういう人はいなかったらしい。
 試験を受けているうちに雪は止んだものの、気温はまだ上がらない。休憩室のストーブの前で皆が固まる。
「試験二つ終わったがー、なにか不安になったやつとかいないかー?」
 もともと、出席確認は食堂でやるらしかったけど、なにせ今日は何千人もの受験生が試験会場である大学に集まっているので、食堂などはすぐいっぱいで入れない。車に戻って弁当を食べる予定の友達もいるくらいだ。
 俺の学年でセンター試験を受けるのは四クラスで百人ほど。推薦組も大学に点数申告の義務があるため受けさせられたりするらしいけど、詳しくは知らない。隔絶があるわけじゃないが、推薦組と一般組はやはりちょっと気持ちが離れている気がする。
 二科目終わって十一時四十分。国語が午後一時からとはいえ、出席確認などすぐ終わらせてお昼にしたかった。
 担任教師が見まわす。
「おい、静香はどこだ?」
「見てないでーす」
 磯貝静香。そのキリンのような長身を思い出す。なんだかんだあいつとは中学校時代からの同級だけど、それほど思い出はない。確か隣県の私立女子大を志望だったはず。
 まさか遅刻でもしたのか。
 教師は名簿に目を落とし、眉間にしわを寄せる。
「ああ、そうか……。じゃ、なにか質問とかあれば言ってくれ。みんな腹減ってるだろうしな。終わったテストの話はしないこと! 気になると次まで響くぞ」
 そんなことを言って解散となる。俺だけ、その場に立ち尽くしていた。教師の挙動が変な気がしたのだ。
 本人がいないのに出席確認を打ち切るなんて、普通ない。さすがに遅刻欠席はないとしても、トラブルに巻き込まれている可能性だってあるのだ。
 ストイックな性格の静香がなにか揉め事を起こすとは思わないけど、教師の態度はいささか不自然だった。
 いつも女子五人くらいでつるんでいるはずなのに、その子達も居場所を知らないらしい。
「充宏、昼くわないの」
「……あ、いや」
 頭を振って俺はその場を離れる。従兄の車で昼食をとることになっているから。
 それに今はテストだ。それ以外のことに気をとられすぎていると足元をすくわれる。

  ◇曾太郎 1/21 - 4

 混んでいる大学食堂で座ることができるとは思っていなかったので運がよかった。でもこんなところで運を使ってしまうと試験の四択を外してしまいそうで不安になる。
 そんなとりとめのないことを考えながら、ボクはコンビニの鮭お握りを口に運ぶ。来るときに買ってきておいてよかった。厨房の前には長蛇の列。あれでは、食べ終わる前に国語の試験が始まりかねない。しかしすごい混み具合だ。みんな近隣高校の生徒と予備校生だとして、受験人数はかなりのものになる。
 三人で座り、次のテストの話をする。文系にとって国語は取りどころ、というわけでもないけど、少なくともここで転ぶと後がきつい。二日目に理科と数学が待っているからだ。
 受け終わった現代社会の答え合わせも本当はしたいけど、落ち込むだろうから意識的に避ける。
 肩が叩かれ振り向くと、そこに龍一がいた。さっきと同じように少し険しい表情をしている。
「ここ、いいか」
「ああうん、いいんじゃない」
 空いた席は、さっきまで別の高校生が食事していたところだ。龍一は右手に抱えた英語の参考書をテーブルに置き、左手のパンを開け始める。その仕草には、いつもの明るさがない。
「プレッシャー感じてる? 社会の時も思ったけど」
 ボクが言うと、龍一は眉間にしわを寄せた。
「当たり前だろ。失敗するわけには、いかねえんだ」
「そりゃそうだけどさ。緊張しすぎてテストでミスったりしたら目も当てられないし。少しくらい落ち着くべきだと思うよ」
「……そうだな」
 生返事でパンを齧る龍一。そりゃあ会場を見まわしただけでも顔をこわばらせて歩く人がいくらでもいる。受験番号ひとつ書き間違えただけで一教科落とすのだから当然だ。だけど、そうやって自失のままいれば、足を踏み外す可能性は高まる。
 結局龍一は小さいパン一つ胃に収めただけで食堂を去った。そこには教室でもムードメーカーとなるほどのテンションの高さはない。いくらなんでもおかしい。性格が変わったように。
 龍一はボクと同じ、理系国立の志望。といっても、私立との併願を考えるほど成績ボーダーは微妙で、お互いの進路選択を話し合うにはうってつけの相手だった。仲良くなったのは受験シーズンに入ってからといっていい。だけどさすがに今日明日は、相談どころではなさそうだ。
 龍一もふらふらと移動していないで、せっかくだし彼女に会ってくればいいのに。えっと、磯貝静香さんだったか。そういえば今日は見ていない。
 みんな落ち着かない日なんだな、と納得してボクは席を立つ。

  ◆充宏 1/21 - 5

 時間配分を間違った。
 あれだけ練習したのに、俺の体内時計は八十分を覚えていないらしかった。
 一日目午後、国語の試験。最後の漢文に取り掛かる時時計を見たら残り十分。とりあえずマークシートを埋めることには成功したが、手応えはほとんどなかった。他の人のように、順番に解くのではなく得意な分野から取り掛かったほうがよかったかもしれない。
 解答用紙が回収された今にとっては、結果論。全てを忘れ、まずは息を吐く。英語の試験まで引きずらないよう、この休憩時間で気持ちをリフレッシュしたい。
 しかし、気をとられる事項は別にあった。磯貝静香。
 それほどの交流ではなかったとはいえ、旧知ではある。センター試験に現れていないというのは一体どういうことなのか。
 私立文系でもセンターの点数が重要になるところは多い。受けないわけにはいかないだろう。もし受けないとすればそれは一体どういうことか。
 何らかのトラブル。まず考えるのはそれだ。本人に限らず、彼女の家族になにかあったとか。だけどそれなら、担任教師や静香の友人たちに知られていてもいいはずだ。担任教師が思い出して濁すように隠したとなると、違う気がした。うちの担任教師なら「磯貝は風邪で欠席だ」であったり「家の都合で欠席した」くらいのことは言うだろう。
 何らかの理由でセンター試験を受けなくて良くなった。そういう理由もあまり思いつかない。進路が決まっていない以上、第一関門となるこの試験を出ない理由は少ない。
 別に彼女のことを気にすることはないのだが、こういう時に気になってしまうとつい忘れにくい。
 そのうち静香の友人あたりに訊いてみよう。
 俺はその意思を頭の隅に追いやり、英単語帳を引っ張り出す。外の雪がまた降りだしているのが見える。

  ◇曾太郎 1/21 - 6

 日程は知っていたけど、それにしてもこれは長いとボクは思う。
 英語の筆記試験が終わったのが十六時半。だけどそれで今日は終わりじゃない。英語リスニングが三十分ある。そしてそれが始まるのはなぜか十七時一〇分なのだ。
 準備が必要なのはわかる。でもこれだけ空いてしまうと集中力が切れてしまいそうで怖かった。ただでさえ朝からぴりぴりしているのだ。
 この四十分の休憩時間、自然と講義室でクラスメイトは集まる。名字が近い三人、ボクと充宏と龍一。
 リスニングは唯一事前の復習がしにくいところで、頻出単語をまとめたプリントを眺めるくらいしかやることがない。
 充宏はいつもの寡黙さに加え国語の失敗を引っ張っているし、龍一は朝からずっと思いつめたままでお調子者の性格が今日は皆無。冗談を言えるのはボクくらいのものだった。
「ボクのリスニング機械だけ何度も再生できるようになったりしないかな」
「意味ないだろ。試験時間は三十分から伸びるわけじゃないんだから」
 適当な言い合いをするボクと充宏を尻目に、龍一はプリントに目が釘付け。そこまで気負っても意味ないと思うけど。とりあえずリスニングが終われば一日目は終了、すぐ帰れる。そのほうがボクにとってはいい薬だった。
 それとも。
 なにか龍一には、気負う理由でもあるのだろうか。

  ◆充宏 1/22 - 1

 二日目も雪だ。雪の道を皆が走る。
 同じ道を従兄に送ってもらう。
 今回は早くなくていい。文系としては理科を一科目しか受けなくていいからだ。あんなの二科目も受けていい点数が取れる気はしない。化学の一科目だって危なくて、理科総合Aに変えようかと思ったくらいだ。
 従兄が雪道に気をつけながら訊いてくる。
「今日は終わるの早いんだよな」
「そ。三時前には終わる」
 二日目は理科と数学。昨日みたいに帰って夜八時なんてことはない。休みとはいえ従兄には世話になりっぱなしだ。
 理系科目。担任教師の格言を思い出す。
 理系にとっては取れて当たり前、文系にとっては差がつく要因。
 模試を何度も繰り返して、その格言が外れていないことを俺は実感した。なかには文系でも理科や数学ができる同級生というのがいるもので、たいてい彼らは成績トップクラス。全てのテストで点数が取れる証左なのかもしれない。
 ただし文系科目は、論理的に解く方法を用いることができるので、理系でも得意な人は多い。意外と差がつく要因にはなりにくいらしい。
 理系に生まれればよかった。
 そう思って、心の中で苦笑いする。確かこれ、静香が去年あたりに言っていたことだ。
 今日も彼女は来ないのだろうか。理由が分からないというのは歯がゆいもので、今日も考えてしまう。

  ◇曾太郎 1/22 - 2

 昼休みまで集中力が持ったのはボクにとって行幸といっていい気がした。化学も物理も十分な手ごたえがあった。
 このまま数学まで走りきりたいところだけど、そうもいかない。せっかくだし一旦リセットすべきだろう。
 食堂では皆が集まった。暖房が利いてなくて寒い。意外なもので、この場にいない人の話題になる。
「電話したら、静香明るい声だったんだよね」
「せんせーに理由訊いても答えてくれないし」
 という友人女子たちの弁。
 横で充宏がつぶやく。
「いったいどういうことなんだ……」
 なにか理由があるんだろうし、変に詮索するのも悪いと思う。
 彼氏である龍一に訊けば早い、とボクは言ったけど、食堂にはいなかった。今日も同じように参考書と睨めっこしているらしい。
 そしてボクは、龍一の姿を見て、考えることがあった。
 ボクはああいう風になることができない、と。
 勉強に対してあそこまで真摯に取り組むことなんてできなくて、ボクが上を目指すにはあまりに勢いが足りなすぎる。分かっていたことでも、やっと実感できた。
 センターの自己採点が終わったら、すぐ進路を親に伝えようと決意する。
「次、数学だねー」
 静香ちゃんがいない理由。龍一が思いつめている理由。それはそのうち分かることだろう。

  ◆充宏 1/22 - 3

 休憩がてら、静香のことについて考える。
 二時半。残るは数学の一科目。難易度は高いけど簡単なところはしっかり解かなければいけない。ラスボスともいえる。
 俺としてはもうあきらめムードである。模試でも三十分経てば解ける問題がなくなり、適当にマークシートを埋めるくらいしかできない。これでも文系としてしっかり対応してきたはずなんだけど。
 しかし、お昼の会話でもっと分からなくなった。静香と連絡はつくし明るい声だった、と。それが本当なら病気説やトラブル説が軒並み消える。何事もないようで安心ではあるけど、それならどうしてセンター試験会場に来ないのだろう。明るい声は演技だったりするのか。
 数学公式を復習しつつ、意識はそのまま静香がいない理由へ沈んでいく。
 外は雪。水分を含んだ形の大きな雪の結晶が、講義室の窓に張り付いている。
 教壇のほうでは、試験官たちが集まって新たな問題とマークシートの枚数を数えている。この二日間で何度も見た光景。
 昨日いた試験官と異なり、今は男性と女性がいる。談笑しつつ作業をしているようで、その姿は夫婦に見えた。実際そうなのかもしれない。
 ふと、思いつく。仮説が一つ。
 そんなことが。
 でも、考えてみれば十分にあり得ることで、ただそれは、俺が思いつかなかった理由だというだけの話だ。
 俺は振り向く。会場の後ろのほうに座る同級生、龍一。やつと静香が付き合っているとは今日のお昼に知った。あらかじめそれを知っていたらもっと早くにこの考えに至っただろう。
 これが事実なら、彼女はある決意を持ってセンター試験を辞退したことになる。
 俺はあまりに狭い井戸にいたらしい。受験戦争に揉まれて、社会のことを意識から飛ばしていた。その受験勉強だって、流されるようにやっていただけだ。
 俺らは受験生ってだけじゃない。それをすっかり思い出さなくなっていた。
 雪が積もる。あと十五分もしたら、最後のテストが始まる。
 無事それが終わり、また彼女と会う機会があったら、ぜひ話してみたいと思った。

  ◇曾太郎 1/23 - 2

 センター試験の翌日は学校に集まることが決まっている。それは自己採点のためだ。
 試験の点数が生徒に告知されるのは五月。それでも、その点数を知っていなければ受験学校を選ぶことなどできない。そのため、生徒は自分の回答をメモしておいて、翌日の解答発表で答え合わせをする。その自主的把握の点数で、受ける学校を決定する。
 ここで自己採点を間違えたりすると成績ボーダーを誤解して、受験では大変なことになる。もし本物のマークシートで記入ミスをしていたら目も当てられない。
 いつもの教室。先生が来る前、ボクの前に充宏が来た。
 センター試験のことかと思ったけど、どうやら静香ちゃんのことらしい。
「あまり広めるわけにもいかないけど」
 と、前置きして彼女の『理由』を教えてくれる。充宏は自分でその可能性に思い当たり、龍一に確かめたらしい。
 そしてボクの返答は、こう。
「ふうん」
「……気になってなかったか?」
「気にはしてたけど。その理由なら別に驚くことじゃないよ。つまり龍一が気負いしていたのもそういうことだったんでしょ? 腑に落ちただけ」
 そう言うと、そうか、と充宏は息を吐く。
「変な話をしたな。他言無用で」
「当然でしょ」
 人には人の進路がある。ボクにも。それをどうこう言うつもりなんてないし、言われる筋合いもない。
 でも、その『理由』は、ボクの決意を後押しした。
 自分の学力で行ける大学に行こう。当たり前のことなのに、踏ん切りがつかなかった。背伸びしたり、安定を求めたり。
 だけど、自分が決めたからという根拠は、何よりも強く思えた。
 ボクはこっそり絵馬を思い浮かべる。そこに書く願いを。
 皆が進むべき道に進めますように。

  ◆充宏 1/23 - 3

 午後から彼女が学校に来ると聞いて、俺は待つことにした。
 センターを受けた三年生にとっては自己採点だけであとは今日の予定はなく、皆午前で帰って行った。
 職員室で待っていると、出てくる長身の女子。静香の姿は別に今までと変わらないように見える。中学からのクラスメイトといって、こうして話す機会などあまりなかった。
「よ」
 声をかけると、いつものハスキーが返ってくる。
「……充宏。どしたの」
「センター試験いなかったからみんな心配してたぜ。大丈夫なのかと思って」
 彼女はこちらを向き、口だけで笑う。
「大丈夫。充宏は、事情知ってるんだ?」
「まあな」
 仮説を立てて龍一を問い詰めただけだが。彼は今も思いつめた顔をしていた。
「具合悪くはないのか」
「まだそんなんじゃないよ。そのうちらしいけど」
 そう言って、彼女はお腹に手をやる。……やはり、そうなのか。
「これからどうするんだ」
「それを先生と相談してたとこ。体調崩したりするわけだし、受験はさっぱりやめようかなって。まずはこっちが大事」
 近くで雑談しているはずなのに、どうも静香との距離が、遠く感じた。
「龍一は」
「龍一が悪いわけじゃないよ。私たちで決めたの」
「あいつ、テストの時もプレッシャーかかってたぞ」
「そうね。しっかりした大学に入りつつ、これからのことを決めるってことにしたの。それまでは周りにお世話になるかも」
「……そうか」
 ここまで話して、あと言うことはないことに気づく。いったい俺は何をしているのか。暴く必要もない彼女の秘密を聞いて、それだけで終わりか。
 息を吐いて、俺の悩みを吐露する。
「決意するとき、怖くなかったか? ……俺は怖い。明日から出願の準備だけど、ここで適当に大学選んでしまったら、これ以降の人生も全部適当に選ぶ気がする。でも俺には、決意がない」
 静香のような決意も、龍一のような決意も。
 そして今日午前話した時、曾太郎にも決意の心が見えた。顔つきで分かった。
 みんなに置いて行かれそうな気持ちばかり、俺の中にある。
 静香は俺の肩をたたく。ほんの少し。軽く。
「決意なんて、そのうちついてくるよ。みんなそうだもん」
 そしてそのまま横を通り過ぎ、背後へと消えていく。
「じゃね、充宏。クラスのみんなによろしく」
「……じゃあな」
 俺は声を出したけど、動けないまま窓の外に顔を向ける。生徒がうろつく中庭。昨日の雪が残って、足跡だけが存在を主張していた。
 なんて強いのだろう。あの『決意』という名の強さを得るまで、俺はどれだけ、かかるのだろうか。


          おわり

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Author:義里カズ
YOSHIZATO Kazu
物語書き。ネットで文章公開中。

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