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INDEX 第一話 静かな声音が、その場に響く / 第二話 小さな期待が、その子を動かす / 第三話 健気な言葉が、手紙に現る / 第四話 数奇な対面が、全てを始める / 第五話 苛烈な降雨が、虚像を暴く / 第六話 二つの事件が、過去から交わる / 第七話 一つの推理が、未来に導く

ラムネクラブ 第三話 健気な言葉が、手紙に現る









 私がラムネクラブに入った理由の一つは、気軽さだ。
 学校への通学はもう慣れっこだったけれど、夏休みとなれば話は別。行く意欲も無いのにほぼ毎日夏期講習へと足を運ぶのは、なんといっても気が重い。はっきり言って、やる気が無かった。一方、ラムネクラブの活動場所、駄菓子屋「ケヤキ」は私の通学路上にあって寄りやすい。好きなラムネも飲むことが出来るし、相棒との会話も楽しい。私にとってラムネクラブは夏休みの清涼剤のようなものだ。
 そうやって私は、大切な高校二年生の夏を、こうやって無為に過ごしている。


 月曜日。昨日、日曜日のカナとの買い物で気分を変えようと思ったのも束の間のこと、今日はまた勉強という名の苦行に耐えなければならない。
 今、私は数学IIの課外授業を受けている。気の遠くなるような行数の記号が埋まる黒板をノートに写す気にもならず、教員に問題を当てられることの無いように祈りながらただぼうっとしていた。
 今日も暑い。ニュースによると、今年は記録的な猛暑で、毎日気温が高いだけでなく降水量が極端に少ないらしい。事実、八月に入ってから私はほとんど大きな雨を見ていない。言い換えれば、連日ひどいほどの快晴に恵まれているということだ、憎らしいほどに。窓に当たる光が、閉めているカーテンをものともせず教室に入り込もうとしている。おかげで今もかなり蒸し暑く、クラスにいる生徒のほぼ全員がぐったりとしているように見えた。
 首を上げて横に座る同級生、藤島佳奈《カナ》の顔を見る。課外授業は自由着席になっているので、ここ最近は私とカナは一緒に座っている。といってもこんなに仲良くなったのは夏休みが始まってなのだけれど。そんなカナは黄色のシャープペンを右手に持ち、ノートを広げていた。といっても真面目にノートを取っているわけではない。真っ白なノートの上にくたりと頭を乗せ、目をつぶっていた。短い髪がわずかに耳にかかっている。ポジティブの権化のような存在であるカナでもこの熱さには耐えられなかったようで、長い長い授業の時間を睡眠に当てて消費しようとしているようだった。
 カナも私も、特に頭が良いというわけではない。二人とも成績ランキングの上位に乗ったことはないし、まあどん底と言うほどではないものの、やや下のほうをふらふらしている。第一私のほうは特に何も考えずに進学クラスに進んでしまったので、特に向上心が無いと言うのが原因だ。カナについては、よく知らない。
 また数学教師が黒板に文字を追加し始めたので、私は手元のシャーペンを取った。


 高校に入ってから、私はひとつ、勉強についてのコツを見つけた。
 なにか学習を使う「目的」を見つけることだ。
 よく学生や児童が「勉強って何のためにあるの?」と言っているのを聞く。確かにその「勉強の理由」を見つけられれば、勉強するのが楽しくなるだろう。ところが、その「理由」というのは人にとって見つけづらい。三角関数や化学反応、外国の歴史など、学んだ物事が直接的に仕事やライフワークに直結することは稀だといっていい。そうやって勉強の「理由」について追及し始めてしまうと、どうしても勉強する意欲をなくしてしまう。
 それなら、勉強を何かに利用すればいい。そうすれば、「目的」の幅が広がる。夢を叶えるために勉強するという「目的」はもちろんその筆頭だし、あの学校に通ってみたいとか、大学まで行けばネームバリューを駆使できるとかの目的でも良い。もしくは入学してから遊び三昧の生活をしたいとか、異性にもてたいとかの一見不純な理由でもいい。とにかくその人が立てた目的に対して、心から乗っかることが出来ればいい。そうすると勉強することが少し楽になる。自分はその目的のために勉強しているのだ、と思えるようになり、勉強も少しは苦でもなくなる。
 そして私自身には、「理由」も「目的」もない。将来の夢も決まっていないし、大学に進学することに意義も見出せない。他人が自らの道に邁進するのを見ているたびに、私は言いようのない気持ちに駆られる。その気持ちはおそらくもどかしさ、かもしれない。
 私は「目的」が欲しくてたまらないのだ、狂おしいほど。


 なぜ私がこんな思考に入ったか。それはこれからの予定にある。その予定が、私にとって今日一番の難関だ。
 課外が終わり、荷物の置いてある自分の教室に戻る。課外講習自体は教科や受講人数によって実施教室がころころ変わるので、筆記用具以外の荷物は教室に置いておくのが私たちのいつもの習慣だ。教室の前、大きな黒板の端にこんなプリントが張ってあるのを見て、私はまた暗澹たる気持ちになる。
『二者面談の予定』
 今日の午後、二者面談のトップバッターはわざわざ再確認するでもなく、私だった。

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「さ、そこに座って、来夏《ライカ》ちゃん」
 我らが担任女史、三浦先生はそう私に促した。
 あまり授業では使わない学習室。広さは教室の三分の一ほど。生徒用の机と、その手前に丸椅子。立っていても仕方ないので、私は目の前で書類を広げる先生の指示に従った。
 三浦先生は、この高校に赴任して六年目になるとのことだった。公立の高校では四年程度で転任するのが多いことに比べると、珍しくベテランの先生だ。教科は英語。入学してからずっと私たちの担当で、主に進学関係について詳しい。年齢不詳の顔に細い眼鏡をかけ、髪は短く揃えている。
「ちょっと待っていてね。書類まとめるから」
 そう言って先生は机の上の膨大な書類のそれぞれに書き込みや分類などをしている。おそらく、私たちクラス全員のデータだろう。それらを少し見ただけで、最近の模擬試験の点数や偏差値、志望アンケートなどが書いてあるのが分かる。
 私は先生の仕事が終わるまで微妙に気まずい気持ちで椅子に座っていた。
 私の心の中では二者面談などすっぽかして駄菓子屋「ケヤキ」でラムネを飲みたい気持ちが九割を占めていたが、残念なことに、残り一割の理性がその衝動を押さえ込んでしまった。二者面談をすっぽかすわけにはいかない。課外講習が終わるとすぐに店に移動してラムネを飲むというのが私たちラムネクラブの唯一の通常業務なだけに、その習慣と違う行動をとるのに少しばかり違和感がある。それほど私もラムネクラブに毒されてきた、ということかもしれない。
 やがて、少しばかり片付けられた机の中央に、私のデータが載った書類が広がる。
「さ、始めましょうか」
「……はい」
 さて、どうしようかな。自分の眉間にしわが寄るのを感じた。


 初めのうちは業務的な内容だった。今までの模試の成績推移、定期試験の点数、日頃の学習状況など、何気ない話題が続く。
 やがて先生の手が、一枚の書類を前に出す。
 進路調査プリント。その生徒が高校卒業後にどのような進路に進む気があるのか調査する。進学か、就職か。進学希望と一口にいっても、大学や短大、それに専門学校などと選択肢は広い。当然、国公私立などもきちんと考えなければならない。就職の方だって、公務員志望関連か、それ以外かによって勉強すべき内容は変わってくる。
 私のその欄にはたった二文字、「未定」とある。数週間前、私自身が書いた字。これが面談の主題だと、私は覚悟を決めていた。三浦先生もこのプリントを最後に出してきた辺り意地が悪い。当たり障りのない話題は早く終わらせ、この件について時間をたっぷりと採るつもりだろう。進路担当の教師としては、当然の処置といえるかもしれないけれど。
 先生のほうから、口火を切った。
「このクラスは、まだ二年生ということもあるし、進路が決まっていない人が何人かいるわ。一年次の終了のときに軽く文理選択をしただけ出し、まだ自分の進む道が見えていない人もいるでしょう。この時期に二者面談を開くのはね、私たち教師と話し合ってその道を定めるためなのよ」
「ああ、三者面談でなくてとても助かりました」
 ジョークで返したつもりだったが、先生は笑わなかった。
「別に、来夏ちゃんは親御さんと仲が悪いわけではないでしょう。それとも何か問題があるの?」
「いえ問題は無いですけど」
 関係は良好です。でも、そのことがかえって、私が自分の進路について親に話しづらいというのもあるかもしれない。
「親御さんの中には、生徒の意思疎通が充分でない方もいらっしゃるわ。だから二者面談で、せいと自身の考えを聞いておきたいの。……さて、そのことを前提に、私は来夏ちゃんに質問します」
 先生は私を見据える。
「来夏ちゃんは、どれくらい自分の『道』が見えているのかしら」
 これほどストレートな文句もあるまい。まるで体の中心に直接突き立てられたような言葉の鋭さに、私は黙り込んでしまった。三浦先生は尊敬できる先生だが、そういう抜き身の刃のような本質のつき方はひどいと思う。
 私はひざの上で両手を握りこんだ。
「まだ、見えていません」
「……そうやって即答できる生徒は初めて見たわ。たいていはごまかしたり無言だったりするものだけれど。自覚するような出来事でもあったの?」
「いえ、出来事というわけでもないですが、自分が目指しているものが無い、ということは分かります」
「なにか、興味のある分野とか、やってみたい仕事とかは」
「ありません」
「文理選択のときはどうしていたの? 選択の理由は」
「特にやりたいことも無くて、得意な教科で選びました」
 なんとなく、徐々に頭を下げてしまう。先生は、再び模擬試験の推移グラフを取り出した。
「さっき説明したから分かると思うけど、来夏ちゃんは目立つほど成績が悪いわけじゃないし、いまから受験に向けて力を入れていけば国公立大学へも決して夢じゃないと思うわ。勉強の成果が現れるのは三年生になってからという人が多いし、今のグラフで決めるのは早計ね」
 先生はペンをくるりと回し、続ける。
「もし本当に何もやることが無いのなら。それを探すために大学に行くという選択肢もあるんじゃない?」
 今日はとても蒸し暑い。手が少し汗ばんでいる。窓を見ると、ひどい量の光が真っ直ぐ床に飛び込んできているのが分かる。
 ふと、カナは今どうしているのだろうか、と思う。暑い光に囲まれたあの駄菓子屋前のベンチでラムネを飲む彼女の姿を想像してみる。とても眩しそうだった。
 自分の口から出たのは、驚くほど静かな声だった。
「……分かってはいるんです、自分の状況」
 自分が何より知っている。このままでは、だめだということを。
「何も『目的』が無いんです。夢も、将来も。実はこの高校に来た理由もそれを探すためで、でも何も見つからなくて。それで、不安になったんです。こうやって、何も見つからないままなのかなあって」
 私がバラバラな気持ちを言葉に紡ぐ間、先生は何も言わない。
「うぬぼれかも知れないけれど、頑張って勉強したら自分が志望するところに行けるだろうって、たぶん自分でも分かってるんです。でも、それじゃ駄目です。それじゃ、そのまま大学に進学しても自分の『目的』が見つからないまま、ずっとさ迷ってしまうのが、見えるんです。……だから」
 息を吸って、
「今、見つけなきゃいけないんです。私の、生きる目的を」
 言い切った。


 やがて面談が終わり、私は学習室のドアノブをひねり、廊下に出た。
 面談が終われば、やることはない。教室へと足を向ける。
 結局、話は宙ぶらりんで終わった。
 その『目的』は定まってきたのか、という先生の問いに、私はやっとのことで、
「……もう少し、待ってください。あとちょっとで、決まると思います」
 としか言えなかった。
 でも、そんな確信、私の中にはない。『目的』がぼやけているどころか、濃い霧の中にいるように感じるほど、先には何も見えない。人生が道だなんて、嘘だ。私にとってそれは、足元しか見えないところを少しずつ進む何もない平面だ。光なんて見えない。
 だからだ。
 だから私は、今あがいているのだ。
 行きたくもない課外講習で学校と家を往復するこの夏休みに、こうして――
「遅いよ、ライカ」
 ちょうど聞こえたその声に、私は息が止まりそうになった。
 教室の前、廊下の壁に寄りかかるようにして、カナがこちらを見ていた。
 私は声が震えそうになるのをこらえ、言う。
「……待っていたんだ、カナ」
「せっかくだから、一緒に帰ろうと思って。今日も行くんでしょ、『ケヤキ』」
「行くわよ、ラムネクラブだからね」
 そう返すと、カナは笑顔を見せる。私は顔をそらし、教室に入る。
 私の今の顔を、見られたくなかった。
 カナがいてくれて気持ちが救われた、と言ったならカナはどういう顔をするだろうか。当然、言わないけれど。


 その後、自分の席で荷物をつめ、さて駄菓子屋『ケヤキ』に行こうとしていたところ。
 教室に入ってくる女子が一人。矢井田萌絵花《もえか》だ。うちのクラスで、ふわりとした髪に大きな目が特徴の、さばさばした女の子。背はカナより少し大きいくらいで、部活は確か美術部だったはず。
 萌絵花は私たち二人に近づきながら尋ねてくる。
「来夏ちゃんは面談おわり?」
「ちょうど今戻ったとこ。次、萌絵花だっけ」
 萌絵花は首を振る。
「うんにゃ、つぎのつぎ」
 そう言って席に座り、横にかかる手提げ袋から弁当を取り出しながら彼女は付け加える。
「めんどうだよねー、昼前から待たされるなんて」
「うんうん、だよね」
 横にいるカナが同意する。私も頷いた。課外授業が終わるのは十二時を回る少し前。そこから二者面談の時間が始まるため、その日の対象者は学校で待機していなければいけない。私の番は最初だから良かったけれど。
 ライトイエローの弁当箱を開けながら、萌絵花は「そういえば」と前置きしてから言う。
「誰かにちょっと相談したいことがあるんだけど。ふたり、ヒマ?」
 私とカナは顔を見合わせる。
 まあ別に私たちの予定は『ケヤキ』に行くことだけで、どうしても行かなければいけないという訳でもないし。
 了承の旨を伝えると、萌絵花は手提げ袋から長方形の紙を取り出した。なんだろう、葉書かな。
「これ知り合いから来たものなんだけど、なんだかよく分からない部分があって困ってるんだよね」
 よく分からない部分? どちらかといえばその説明がよく分からない。
 とりあえず、その葉書を見せてもらうことにする。普通の官製葉書に見えた。コンビニなんかでよく売っているやつだ。「矢井田萌絵花様」宛の、何の変哲もない片面。裏返すと、いろいろ書いてあった。まず下方に大きなアサガオの絵が目に入る。色鉛筆で描かれた青く丸い花弁と緑の蔓が、葉書の下半分に広がっている。そして上には、同じく黒の色鉛筆の様な太くて丸い字が躍っていた。平仮名が多い文章だな、という印象。私とカナはそれを黙読する。

『もえかお姉ちゃん、お元気ですか。
 てがみを出していいといわれたので、さっそく出しました。
 なつやすみは、わたしのよりもえかお姉ちゃんのほうがみじかいとおもいますが、べんきょうがんばってね。
 わたしの今年の「なつ」のもんだいが分かりますか。キーワードは「3週」。答えは、「かう」です。あと3週かん、おこづかいをためて新しいゲームを買いたいのです。
 書くことがあまりないので下にはあさがおをかきました。じょうず?
 それでは。
      わまにめ』 

「わまにめ?」
 横から見るカナが、最後の一文を口に出した。萌絵花はマカロニを口に放り込みながらこちらを見る。カナも萌絵花も、そしておそらく私も同じ表情をしているだろう。浮かべるのは、疑問の表情。
 私はまず、この文章のあまりの滅裂さにあきれていた。漢字が少ない所から、子供が書いた文であることは分かるけれど、文面にまとまりがなくよく分からない。口には出さなかったけれど。
 萌絵花は私たちに訊く。
「ラストの文。いったい、どーいう意味なんだと思う?」
 わまにめ。四文字の意味不明な平仮名。確かにその前の文は何とか意味を成しえるところだけれど、これだけはなにか異質だ。
 カナが、悩んだ顔で近くの椅子に座る。興味を持った、ということだろうか。
 まあ、相談に乗ると言ってしまったようなものだし、文の真意を知らなければなにかもどかしさのようなものを引きずってしまいそうだ。なにせ、今日私はさっきまでの面談のショックで落ち込み気味。あまりストレスは溜めたくない。
 気づかれないよう、ため息のように息を吐く。お昼にありつけるのは、もう少し先になりそうだ。



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 まず口火を切ったのは、カナだった。
「まず訊くけど、この手紙はなんなの?」
 まあもっともな質問だ。裏に書いてある意図不明の文章のほかにはなにも書いていないので、いったいこの葉書の差出人が誰かということすら分からない。宛先から萌絵花にあてたものだということは分かるのだけれど。
 萌絵花がその質問に答える。
「やっぱそっから話さないとね。そのはがきは暑中見舞い。北のほうの田舎に住んでるわたしの従弟が送ってきたやつなの。けっこー私には懐いてくれて可愛い男の子なんだけど」
 なるほど、だから「もえかお姉ちゃん」か。多分「従姉」という意味だろう。
「よく読むと文面もいまいち分からないし、最後の四文字はみょうに意味ありげだし。あの子かしこいから、わたしが覚えていない思い出かなんかかもしれないと思うんだけど、そういうのにも覚えはないし」
 カナが私から葉書を取り、しげしげと見る。
「うーん、特に意味なんてないと思うけどなあ。『もえかお姉ちゃん』なんて、あたしも呼ばれたいなあ」
 一人っ子のカナの要望は置いといて。
 私は何か、違和感を覚えていた。
 「なつのもんだい」。
 「キーワードは3週」。
 「わまにめ」。
 私は聞く。
「ねえ萌絵花、この葉書送ってきた子って何年生?」
「確か今年で四年生だったかなー。どうして?」
 萌絵花の質問に、私は唇を曲げる。
「なんか不自然なのよ、この文。『週』とかは漢字なのに、『なつ』は平仮名。小学四年生だったらさすがに書けるでしょう」
「うーん、たしかに」
 この子が萌絵花のいう通り賢いのならば、もう少しくらい漢字は書けていていいはずだ。調べる、という方法だってある。
 妙に、平仮名が多い。
 でも、あえてこの文だとしたら。
 ……じゃあこれは、やはりそうなのか。
「ライカ?」
 考え込む私を、カナが覗き込む。カナの目を見返しながら、思考にふける。
 これは考える価値がありそうだ。
 首に手を当て、頭の中でワードを抜き出す。
 「なつの問題」。「キーワード」。「答えは『かう』」。
 「3週」。
 前でも後でも、なさそうだ。まあそれだったら、「三日」でも「3」でもいいはず。
 カレンダーを思い出し、ぴんときた。なるほど、役割はそれか。
 だとすれば、頭の中で。
そして私は喝采をあげそうになるが、必死にとどめる。……そうか、そうしないといけない。これは面倒だ。
 私は話し始める。
「なんとなくだけれど、手紙に書かれた変な文章って聞くと、だいたいああいうのが思い浮かぶのよね」
 萌絵花がすぐに反応した。
「暗号?」
「そう」
「わたしもそれは少し思ったの。でも、それだったら全部の文章を暗号にしない?」
 前の近況報告も含め、ほかの人に分からなくする。萌絵花の疑問はもっともだけれど。
「暗号だったら、何か大切な文を隠して伝えるものでしょう。前の文章は、それほど隠す必要性があるとも思えないわ。もしかしたら、別の役割かも」
 そういうと萌絵花とカナは葉書を机に置いて、じっと見つめながら考え始めた。
「うーん……」
 悩む萌絵花。食べかけの弁当など目に入っていない様子。
「もんだい……こたえ……」
 呟いてから、ちらりとこっちを見るカナ。
 やがて、萌絵花が声を上げる。
「そうだ! これってもしかして、暗号のヒントなんじゃない?」
 葉書の「キーワード」という部分を指差す。
「よくさ、クイズとかでヒントのことを鍵って言うじゃない? キーワード、鍵、つまりkey《キー》をここで示しているんじゃないかなあって」
「確かに暗号理論とかだと公開鍵とか秘密鍵とかって言うね」
 無駄な知識をよく知っているカナ。ヒントと鍵は違う気がするけれど、厳密なことは置いておく。
「だから『3週』が鍵なんだとすれば、これを利用して『わまにめ』という真の暗号を解けるんじゃないかな」
 萌絵花の声に、カナは首をかしげる。
「でも、どうやってそれを利用するの? 萌絵花ちゃん」
「う、そう言われると……」
 黙る萌絵花。私は独り言のように呟く。
「この暗号問題はどうすれば解けるんだろう」
 すると萌絵花は声を上げた。
「……それよ! 問題!」
 葉書を折り曲げんばかりに持ち、読み上げる。
「『なつ』の問題、キーワードは『3週』、答えは『かう』。つまりこれって、『なつ』っていう暗号を『3週』っていう鍵で解いたら『かう』っていう意味になる、ってことなんじゃないの? だから、両方平仮名なのよ」
 ふんふん、なるほど。
「換字式暗号、ってことかあ」
 二文字同士だから、ひとつの文字が違う文字に暗号化されている。
 感心するカナと私を尻目に、萌絵花は興奮しきりだ。
「えーと、『な』が『か』に変わって、『つ』が『う』に変わるのかな。……もしかして、『3週』って」
 あわただしくシャーペンとルーズリーフを取り出し、弁当をよけて書き始める。五十音表だ。
「そうよ! 五十音で、『な』と『か』、『つ』と『う』は三行前にある。だから、『3週』っていうのは、カレンダーみたいに三つ列をずらせ、ってことじゃないの?」
「……うんうん、すごいすごい! じゃあ同じようにすれば、最後に書いてある暗号も解けるってことだね」
 同じように興奮するカナ。
「3週」という鍵で「わまにめ」が暗号化されているとすれば、最初の例題と同じように三行前に戻せば本物の文に戻せる。まさか前の文が、鍵と例題という役割を兼ねていたとは。
 そうして私たちはルーズリーフに「わまにめ」と書き、本当の文章に翻訳する。
 五十音表の三行前、つまり15文字前。
 「またきて」


 相変わらず、今日も暑い。
 私とカナは、今から二者面談に向かう萌絵花と別れ、いつも通り商店街の駄菓子屋「ケヤキ」でお昼を食べていた。
 カナが木製のベンチに座り、いつものラムネを傾けながらしみじみと呟く。
「なるほど、暗号にしてまで隠したかったのがあの言葉とはね」
 ――また来て。
 小さな男の子が、高校生の従姉さんに伝えたかったこと。それは四文字の、健気な願いだった。
「よほど萌絵花はあの子に懐かれていたんじゃない? 四年生くらいだったら、そう言うのも恥ずかしかったんでしょう」
 萌絵花は休みがあると、たまにその従弟のもとに遊びに行くらしい。その子にとってはそれが嬉しくて、いつも期待していることだったのだろう。その気持ちをわざわざ隠して当人だけに伝えるために暗号にするくらいは。なるほど賢いわけだ。
 ラムネをもう一口飲んでから、カナは私に意地悪く笑いかける。
「それで?」
「……なによ」
「それで、ライカはいつ気付いたの?」
 やはり、伝わっていたか。カナの言動で、そうじゃないかと思っていた。
「結構、最初のほうに。なんとなく暗号だということは見当がついたから、あとは鍵を使えば頭の中でも解けるしね、あれ」
「萌絵花ちゃんに言ってあげればよかったのに」
 カナの指摘に、私は黙り込んだ。
 確かに、私はすぐに暗号とそのヒントに気付き、一足先に回答にたどり着いていた。世間話にしてはあの前文も変だったから少なくとも何かあると思った。
少し考えれば分かる簡単なパズルに過ぎない。よくできているな、とは思ったけれど。
「どうして、答えを隠していたの? もったいぶりたかったの?」
「違うわ。……それは違う」
 私は空を見上げ、手紙の主を思い浮かべた。
「多分その子は、『萌絵花に解いて欲しい』んじゃないのかなって思ったのよ」
 なんとなく。邪推かも、しれないけれど。
 だから私はあの時答えをあえて萌絵花にばらさずに、少しずつ手がかりを与えるように呟いていたのだ。
 丁寧な問題、鍵、例題と回答。
 すべては、萌絵花のためにあったから。
 私が解いてしまうのは、あまりに無慈悲だろう、と。
「でもカナも、途中から応援してくれたわね」
「あんなにライカが意味深な目をしていたら、さすがに分かるよ」
 途中からカナも、私の言動に気付き、そして乗ってくれた。萌絵花をうまく回答に導いて、囃し立てた。
 結果は、十分だったけれど。
「……さすがに、やりすぎだったかな」
 私は目線を下に戻し、苦く呟く。ラムネのビンを傾け、その苦味を流そうとするが、当然うまくいかない。
 でも私には、その子の気持ちが葉書から出てきたように感じたのだ。真の四文字が出てきたときは、素直に感動した。
 心のこもったパズルを無心に解くのは、できることでも、ただ嫌だった。
 真実を暴く以外にも、やれることはある。
 カナは先にラムネを飲み終わり、立ち上がった。
「ライカがいいと思ったら、それはいいことだと思うよ。後悔しているんだったら、ここで懺悔しなさい」
 先生みたいなその口調に、私は苦笑してラムネを飲み干した。からりと、ビー玉の音が鳴る。
「さて、二本目行きますか」
 ラムネクラブの気軽さというものを、私は改めて感じていた。


第三話 おわり

→ 第四話 数奇な対面が、全てを始める


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INDEX
第一話 静かな声音が、その場に響く
第二話 小さな期待が、その子を動かす
第三話 健気な言葉が、手紙に現る
第四話 数奇な対面が、全てを始める
第五話 苛烈な降雨が、虚像を暴く
第六話 二つの事件が、過去から交わる
第七話 一つの推理が、未来に導く


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Author:義里カズ
YOSHIZATO Kazu
物語書き。ネットで文章公開中。

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